葬式仏教の誕生-中世の仏教革命 (平凡社新書600) の感想

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タイトル葬式仏教の誕生-中世の仏教革命 (平凡社新書600)
発売日販売日未定
製作者松尾 剛次
販売元平凡社
JANコード9784582856002
カテゴリ人文・思想 » 宗教 » 仏教 » 仏教入門

購入者の感想

何かと批判の多い「葬式仏教」の成り立ちについて、明らかにした本だ。サブタイトルにあるように、まさに「中世の仏教革命」である。日本古来の死を穢れとする考え、風習に対して、仏教が人間の尊厳まで考えた「葬式」をつくったという指摘は、たしかにその通りだ。平安京では、死にかけた者は都近郊の化野や鳥辺野に捨てられたという。天皇でさえも、死の穢れから逃れられず、崩御される天皇が隔離されてしまったこともあるらしい。そんななか、死の穢れに立ち向かい、人を立派に往生させてくれた宗教が現れたのだから、どんなに画期的だったことか。
ただ、だからといって、現在の「葬式仏教」をそのままに放置してよいことにはなるまい。実際のところ、いまの仏教は死穢に対して、腰がひけているところがある。地方によっては、僧侶が入棺にさえ立ち会わない。入棺の儀式をつかさどり、死体を清めてさえくれるのは、じつは葬儀会社の社員たちだ。葬儀会社の社員こそは、僧侶に代わって死穢を受け止めてくれている存在なのだ。葬儀会社の社員には、いかに遺族に尽くすかを命題にして働く人たちも少なくない。いまの僧侶にそうした気働きはない。
また、私事だが、親戚の臨終にあって、牧師が立ち会ってくれたことがある。牧師はいまわの際になって賛美歌を歌い、生と死をつなげてくれた。次の日には、死者のために死化粧まで施してくれた。そんな場に立ち会うと、いまの「葬式仏教」は何もやっていないとなる。死穢を受け止めることなく、ただルーチン作業をこなしているにすぎない。中世、死穢を受け止めたはずの仏教だが、いまはそうではないとさえいえる。

日本では葬式は一般的に仏式が多いが、その反面、戒名料やら何やらと良く分からないお金を取られることに嫌気を感じる人が増えているのも事実である。

この本は、そもそも何故、仏教が葬式に従事するようになったのかを歴史的に紐解く真摯な研究として非常に興味深い内容になっている。

仏教が葬式に携わるようになったのは、決してお金が儲かるからではないことが良く分かる。
ある意味、当たり前のことなのだが、ここまで詳細に資料に当たって、仏教と葬式の歴史を研究した本もちょっと珍しいと言えよう。

やはり、最近の葬式における仏教離れという現象から発した問いが、この研究の原動力となったのだろうが、結果としては一つの研究成果として素晴らしい内容に仕上がっており、瓢箪から駒といったところかもしれない。

ただ、その原動力たる現代の葬式仏教に対する考察は、仏教と葬式の発展の歴史を追いかける熱意に比べると、さらりと触れるに留まっており、そういう部分を求めてこの本を手にすると肩透かしを食らうことになる。
そのような、現在の仏教に関する話を知りたければ、別の本に当たった方が良い。

というわけで、本書は歴史学的、宗教学的に非常に良い研究なのだが、本の題名が現代の世情に合わせた商業主義に微妙に寄っている点を加味して★4つ。

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