時間と自己 (中公新書 (674)) の感想
参照データ
タイトル | 時間と自己 (中公新書 (674)) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 木村 敏 |
販売元 | 中央公論新社 |
JANコード | 9784121006745 |
カテゴリ | ジャンル別 » 暮らし・健康・子育て » 家庭医学・健康 » ストレス・心の病気 |
購入者の感想
著者が精神病理学者として、精神病における時間体験の病的変化を見ながら、時間について考えた深い思索である。
精神病が患者の時間の捉え方に関連していることが興味深い。自己がなくなってしまった、或いは、
以前とすっかり違ってしまったと訴える離人症患者は、「こと」の感覚が消失している。同時に自己の喪失感に悩んでいる。
このような臨床から、著者は、「自分」とか「自己」とか呼んでいるものは、実は「もの」ではなくて、
自分という「こと」によって成り立っていることを指摘する。
「もの」と「こと」を問うことが「時間」に接近できるカギのようである。この二つの違いの輪郭は、リンゴが木から落ちる「こと」は、
リンゴという「もの」の動きや様相を表しているといえば、浮かんでくるだろう。
我々が日常用いている時間の概念はあまりに強く「もの」的発想に汚染されているとする著者の言及に、目が開かれる。
時計によって計測可能な時間という「もの」は、違和感なく生活に根を下ろし、社会活動における当然になっているが、
同時に、自分という「こと」の感覚を損ないがちになる状況をつくりだすようである。
観察者の主観を含んだ「こと」には、本来、過去と未来への広がりがある。うつ病患者は「過去」という「もの」的時間に「ある」ため、
「こと」としての「いま」というところにはないようである。どうしたら、広がりを取り戻し、いまここに「ある」という自己性の確認が
できるのか。時間という概念の再考にヒントがありそうだ。
精神病が患者の時間の捉え方に関連していることが興味深い。自己がなくなってしまった、或いは、
以前とすっかり違ってしまったと訴える離人症患者は、「こと」の感覚が消失している。同時に自己の喪失感に悩んでいる。
このような臨床から、著者は、「自分」とか「自己」とか呼んでいるものは、実は「もの」ではなくて、
自分という「こと」によって成り立っていることを指摘する。
「もの」と「こと」を問うことが「時間」に接近できるカギのようである。この二つの違いの輪郭は、リンゴが木から落ちる「こと」は、
リンゴという「もの」の動きや様相を表しているといえば、浮かんでくるだろう。
我々が日常用いている時間の概念はあまりに強く「もの」的発想に汚染されているとする著者の言及に、目が開かれる。
時計によって計測可能な時間という「もの」は、違和感なく生活に根を下ろし、社会活動における当然になっているが、
同時に、自分という「こと」の感覚を損ないがちになる状況をつくりだすようである。
観察者の主観を含んだ「こと」には、本来、過去と未来への広がりがある。うつ病患者は「過去」という「もの」的時間に「ある」ため、
「こと」としての「いま」というところにはないようである。どうしたら、広がりを取り戻し、いまここに「ある」という自己性の確認が
できるのか。時間という概念の再考にヒントがありそうだ。