マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー) の感想

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参照データ

タイトルマイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)
発売日販売日未定
製作者フランシス・スコット フィッツジェラルド
販売元中央公論新社
JANコード9784124034981
カテゴリジャンル別 » 文学・評論 » 文芸作品 » 英米文学

購入者の感想

エッセイ、「マイ・ロスト・シティー」は、およそ完全なものをなすことがないはずの人間という被造物が書きうる完璧な文章であるように思われる。第一次大戦後の20年代アメリカの繁栄の謳歌と、29年の世界恐慌に始まる没落と悲惨の世情を背景とするフィッツジェラルドの絶頂期と下降が、絶妙な哀感と繊細さを備えた文章によって記述されている。
人間には、マイ・ロスト・シティを持つ者と持たぬ者があり、両者の間には治癒できない深い裂け目がある、と思う。人は、街を出ることによって街を失い、時間によって過去の街を失う。空間の移動と時間の経過の両方が合わさることによって、マイロストシティーは成立する。マイロストシティーを持たない人間は幸せだし、僕はそういう人に羨望を覚え、たぶん嫉妬もしている。本書収録の『氷の宮殿』の人物たちは、教授を例外として皆そういう人たちだ。サリー・キャロルは街を失おうとしていたがあわてて帰還した。彼女は、しかし、いずれマイロストシティーを持つ者となるような気がする。彼女の内部には上昇志向の種がくすぶってい、それは一度の挫折で消えるはずもないからだ。そしてその時には、楽園喪失以前のイブのような魅力は失われるが、別種の魅力を帯び始めるに違いない。
ある特殊な喪失感、希望が未来に向かうのではなく過去に向かう感覚、過去の楽園と現在の荒涼との間の深遠の漆黒、といったものを、ある種の文学は教える、いや、呼び起こす。それは光に影を差すことであり、幸福に不幸を差し挟ませることである。善か悪かといえば、悪。それは人生に不可欠なものではなく、むしろそれを停滞させる。このエッセイ全体に横溢する自己憐憫のようなものもそうである。
自己憐憫、それは一種の快楽なんだな、と思った。このエッセイの中で、作家は二度、悟る。

「そうだ、私にはわかっていたのだ。自分が望むもの全てを手に入れてしまった人間であり、もうこの先これ以上幸せになれっこないんだということが。」(P.248)
「果てることなくどこまでも続いているのは街ではなく、青や緑の大地なのだ。ニューヨークは結局のところただの街でしかなかった、宇宙なんかじゃないんだ」(P.256)

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