考えるヒント3〈新装版〉 (文春文庫) の感想
参照データ
タイトル | 考えるヒント3〈新装版〉 (文春文庫) |
発売日 | 2013-05-10 |
製作者 | 小林 秀雄 |
販売元 | 文藝春秋 |
JANコード | 9784167107147 |
カテゴリ | ジャンル別 » 文学・評論 » 評論・文学研究 » 文学理論 |
購入者の感想
小林秀雄氏の随筆集です。多様なテーマにわたって深い考察がなされています。小林氏の文章には独特な魅力を私は感じます。それは、筆者が(人の意見に惑わされることなく)あくまで自分の感覚に素直に寄り添って書いているからではないでしょうか。
もくじ
信ずることと知ること
生と死
美を求める心
ゴッホの病気
ドストエフスキイ七十五年祭に於ける講演
喋ることと書くこと
政治と文学
悲劇について
私の人生観
歴史と文学
文学と自分
以下は私の印象に残った部分です。
・近代科学の本質は計量を目指すが、精神の本質は計量を許さぬところにあるp10
・学問の種類は非常に多い。近代科学だけが学問ではない。その狭隘な方法だけでは、どうにもならぬ学問もあるp12
・見ることは喋ることではない。言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫(すみれ)の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのですp42
・悲しみの歌を作る詩人は、自分の悲しみを、よく見定める人です。悲しいといってただ泣く人ではない。自分の悲しみに溺れず、負けず、これを見定め、これをはっきりと感じ、これを言葉の姿に整えて見せる人ですp46
・ゴッホの絵は、絵というよりも精神と感じられます。私が彼の絵を見るのではなく、向こうに眼があって、私が見られている様な感じを、私は持っておりますp62
・哲学とか教養という言葉をニイチェがどんなに嫌おうとも、彼のニヒリズムは、哲学的教養の上に咲いた妖しい花であり、彼の呪いは、詩となり、警句となったp76
・ノアの洪水時代に、ジャアナリズムというものがあったなら、私は断言するが、洪水は決して引かなかっただろう、と。p128
もくじ
信ずることと知ること
生と死
美を求める心
ゴッホの病気
ドストエフスキイ七十五年祭に於ける講演
喋ることと書くこと
政治と文学
悲劇について
私の人生観
歴史と文学
文学と自分
以下は私の印象に残った部分です。
・近代科学の本質は計量を目指すが、精神の本質は計量を許さぬところにあるp10
・学問の種類は非常に多い。近代科学だけが学問ではない。その狭隘な方法だけでは、どうにもならぬ学問もあるp12
・見ることは喋ることではない。言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは菫(すみれ)の花だとわかる。何だ、菫の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。菫の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのですp42
・悲しみの歌を作る詩人は、自分の悲しみを、よく見定める人です。悲しいといってただ泣く人ではない。自分の悲しみに溺れず、負けず、これを見定め、これをはっきりと感じ、これを言葉の姿に整えて見せる人ですp46
・ゴッホの絵は、絵というよりも精神と感じられます。私が彼の絵を見るのではなく、向こうに眼があって、私が見られている様な感じを、私は持っておりますp62
・哲学とか教養という言葉をニイチェがどんなに嫌おうとも、彼のニヒリズムは、哲学的教養の上に咲いた妖しい花であり、彼の呪いは、詩となり、警句となったp76
・ノアの洪水時代に、ジャアナリズムというものがあったなら、私は断言するが、洪水は決して引かなかっただろう、と。p128