J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BWV1001-1006 [2CDs] の感想
参照データ
タイトル | J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BWV1001-1006 [2CDs] |
発売日 | 2015-03-25 |
アーティスト | ギル・シャハム |
販売元 | Canary Classics |
JANコード | 0892118001143 |
Disc 1 : | Sonata for solo violin No.1, BWV 1001 Sonata for solo violin No.1, BWV 1001 Sonata for solo violin No.1, BWV 1001 Sonata for solo violin No.1, BWV 1001 Partita for solo violin No.1, BWV 1002 Partita for solo violin No.1, BWV 1002 Partita for solo violin No.1, BWV 1002 Partita for solo violin No.1, BWV 1002 Partita for solo violin No.1, BWV 1002 Partita for solo violin No.1, BWV 1002 Partita for solo violin No.1, BWV 1002 Partita for solo violin No.1, BWV 1002 Sonata for solo violin No.2, BWV 1003 Sonata for solo violin No.2, BWV 1003 Sonata for solo violin No.2, BWV 1003 Sonata for solo violin No.2, BWV 1003 |
Disc 2 : | Partita for solo violin No.2, BWV 1004 Partita for solo violin No.2, BWV 1004 Partita for solo violin No.2, BWV 1004 Partita for solo violin No.2, BWV 1004 Partita for solo violin No.2, BWV 1004 Sonata for solo violin No.3, BWV 1005 Sonata for solo violin No.3, BWV 1005 Sonata for solo violin No.3, BWV 1005 Sonata for solo violin No.3, BWV 1005 Partita for solo violin No.3, BWV 1006 Partita for solo violin No.3, BWV 1006 Partita for solo violin No.3, BWV 1006 Partita for solo violin No.3, BWV 1006 Partita for solo violin No.3, BWV 1006 Partita for solo violin No.3, BWV 1006 |
カテゴリ | ミュージック » ジャンル別 » クラシック » 室内楽・器楽曲 |
購入者の感想
自分は、神経質に響く、線が細いヴァイオリンの音や演奏よりは、ピアノの方が好きで、
CDも、独奏ヴァイオリンがメインとなっているものは、それほど多くは持っていない。
だが、この曲と、無伴奏チェロ組曲は別で、いくつかのCDを持っている。
それは自分にとってのベストな演奏を求めてしまうから。
曲の魅力を最大限に感じさせてくれる演奏に出会いたいから。
自分にとって、”良きバッハ演奏”は、それがバッハであることを感じさせないもの。
他のレビュアーの方も書いていらっしゃるが、バッハというと、すぐに精神性とか、
神への何とかということがいわれる。
技術的な難しさが、ストイックな印象に受け取られ、精神性とか、云々となってしまうとしたら
まったく無意味なことだろう。眉間にしわを寄せた深刻そうな演奏には、まったく魅力を感じない。
だから演奏は、まず技術的なことを、悠々とクリアしてほしい。ピアノのグールドのように。
そしてその上に、なんらかの豊かさが加味されるものを聴いてみたい。
この演奏は、そうしたものだ。いい意味で、バッハの純粋音楽の中へ入っていける。
そしてその上で、演奏者が持っている、リズム感が心地よい。
名前と容姿の印象だけではないと思うが、彼の演奏には、南方(あるいは東方)の、
ラテンな躍動が自然とあふれ出していて、バッハ音楽が本来持っている舞踏的な要素と調和する。
音も大きく流麗で、明朗。それでいて、彼の音色と演奏は、通俗性の方へ流れてはいかず、
品位と格調が保たれている。演奏が的確な残響と共に録音されていることも嬉しい。
自らのレーベルからリリースされているので、彼にとっての最良なものが、形になっているのだろう。
どこから聴いても、どの曲を聴いても、ここちよい。
今まで聴いてきたものが、”バッハの高度な難曲のおさらい”のように思えてしまう。
それほど彼の演奏は自由。ギル・シャハムの演奏は、バッハのこの曲を、
CDも、独奏ヴァイオリンがメインとなっているものは、それほど多くは持っていない。
だが、この曲と、無伴奏チェロ組曲は別で、いくつかのCDを持っている。
それは自分にとってのベストな演奏を求めてしまうから。
曲の魅力を最大限に感じさせてくれる演奏に出会いたいから。
自分にとって、”良きバッハ演奏”は、それがバッハであることを感じさせないもの。
他のレビュアーの方も書いていらっしゃるが、バッハというと、すぐに精神性とか、
神への何とかということがいわれる。
技術的な難しさが、ストイックな印象に受け取られ、精神性とか、云々となってしまうとしたら
まったく無意味なことだろう。眉間にしわを寄せた深刻そうな演奏には、まったく魅力を感じない。
だから演奏は、まず技術的なことを、悠々とクリアしてほしい。ピアノのグールドのように。
そしてその上に、なんらかの豊かさが加味されるものを聴いてみたい。
この演奏は、そうしたものだ。いい意味で、バッハの純粋音楽の中へ入っていける。
そしてその上で、演奏者が持っている、リズム感が心地よい。
名前と容姿の印象だけではないと思うが、彼の演奏には、南方(あるいは東方)の、
ラテンな躍動が自然とあふれ出していて、バッハ音楽が本来持っている舞踏的な要素と調和する。
音も大きく流麗で、明朗。それでいて、彼の音色と演奏は、通俗性の方へ流れてはいかず、
品位と格調が保たれている。演奏が的確な残響と共に録音されていることも嬉しい。
自らのレーベルからリリースされているので、彼にとっての最良なものが、形になっているのだろう。
どこから聴いても、どの曲を聴いても、ここちよい。
今まで聴いてきたものが、”バッハの高度な難曲のおさらい”のように思えてしまう。
それほど彼の演奏は自由。ギル・シャハムの演奏は、バッハのこの曲を、