ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう: 意識のハード・プロブレムに挑む の感想

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参照データ

タイトルぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう: 意識のハード・プロブレムに挑む
発売日販売日未定
製作者鈴木 貴之
販売元勁草書房
JANコード9784326154340
カテゴリジャンル別 » 人文・思想 » 哲学・思想 » 哲学

購入者の感想

意識のハードプロブレムとは、原初的、主観的な意
識経験が、物理的な法則が支配する世界から(知覚
対象も脳も当然ここにふくまれる)いかに生じるの
か、それを自然科学的にいかに物理的世界の中に位
置づけることができるのかという新しいが古くから
ある問題。
留意が必要なのは、意識のハードプロブレムは、
脳状態の機能や構造の解明や、脳状態と行動、思考、
記憶などとの対応関係を解明することとは全く異な
る問題だということ(これはら意識のイージープロ
ブレムといわれる)。
これを問題提起したチャルマーズのいわんとするこ
とは、イージープロブレムの解決だけで、意識のあ
りようを説明したことにはならない、そこには原初
的な主観的意識経験(いわゆるクオリアと言われて
いるもの)についての説明がないし、そもそも物理
的法則の記述系にそれを還元することは非常な困難
が伴うということだろう。

本書では前半でハードプロブレムをめぐる諸説のポ
イント、問題点をチャート風に整理している。
丁寧に噛み砕かれているが、問題自体のはらむ難易
度もあるので内容的には非常に濃密。ポイントを丁
寧に頭に染みこませながら、かみしめつつ読み込む
必要がある。

後半はそれを踏まえた著者独自の立場が展開されて
いる。「ミニマルな表象主義」と自身の立場を呼ん
でいる。クオリアを知覚対象の物理的特性に還元し
ようとする方向はとらずに「表象システム」に活路
を見出している。
物理的な世界に対して表象システムのパースペクテ
ィブという相対性を据えることで、知覚対象自体の
属性へクオリアを還元する方向を避けている。
評者の読解力が低いのかもしれないが、こうした立
場はカントやメルロポンティとどう違うのだろうか。
著者は注釈で、カントのいう「もの自体」は不可知
でなく、思考により到達可能、つまり唯物論の立場

哲学系の学生には適書だろう。しかしど素人の老人には1ページ読むのに時間がかかる。まだ十数ページ。がんばろう!

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