もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス) の感想
参照データ
タイトル | もし「右」や「左」がなかったら―言語人類学への招待 (ドルフィン・ブックス) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 井上 京子 |
販売元 | 大修館書店 |
JANコード | 9784469212228 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 言語学 » 言語研究・記号学 |
購入者の感想
あなたが今見つめているものは、おそらく、パソコンのディスプレイ。
「そんなの当たり前。誰にだって同じように見えているでしょう。」
そんなあなたに「そうでもなさそうですよ。」と語りかけてくるのが本書であろうと私は思います。
「右」や「左」とは、私たちが捉えた視覚情報(映像)を誰かに伝えたり、何かに書き記したりするためだけにある、ただの「道具」なのでしょうか?本書での答えは「No.」。「左右」というような表現は、私たちの視覚情報の受け取り方、そしてその記憶の内容を、ある程度規定しているのではないか、と解釈しうる実験の結果が、本書には登場しています。つまり、「左右」という言語表現があるから、私たちは「左右」という基準で物事を捉えているのではないか、という仮説が打ち立てられているのです。
本書では、他にも「言葉が私たちの思考を規定している」という考えを裏付けるような実験が多数載せられています。ページ数、字数は比較的少なく、実験の説明には図も用いられており、<言語人類学>の門外漢にも、とっつきやすい作りになっています。
「そんなの当たり前。誰にだって同じように見えているでしょう。」
そんなあなたに「そうでもなさそうですよ。」と語りかけてくるのが本書であろうと私は思います。
「右」や「左」とは、私たちが捉えた視覚情報(映像)を誰かに伝えたり、何かに書き記したりするためだけにある、ただの「道具」なのでしょうか?本書での答えは「No.」。「左右」というような表現は、私たちの視覚情報の受け取り方、そしてその記憶の内容を、ある程度規定しているのではないか、と解釈しうる実験の結果が、本書には登場しています。つまり、「左右」という言語表現があるから、私たちは「左右」という基準で物事を捉えているのではないか、という仮説が打ち立てられているのです。
本書では、他にも「言葉が私たちの思考を規定している」という考えを裏付けるような実験が多数載せられています。ページ数、字数は比較的少なく、実験の説明には図も用いられており、<言語人類学>の門外漢にも、とっつきやすい作りになっています。