25歳の艦長海戦記―駆逐艦「天津風」かく戦えり (光人社NF文庫) の感想
参照データ
タイトル | 25歳の艦長海戦記―駆逐艦「天津風」かく戦えり (光人社NF文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 森田 友幸 |
販売元 | 光人社 |
JANコード | 9784769824381 |
カテゴリ | » 本 » ジャンル別 » 文学・評論 |
購入者の感想
著者、森田友幸海軍大尉は昭和15年8月海軍兵学校卒業。重巡「摩耶」乗組後、重巡「鳥海」乗組時に開戦を迎える。昭和17年5月、駆逐艦「芙蓉」水雷長、昭和18年5月、駆逐艦「霞」水雷長。志摩艦隊で捷一号作戦、礼号作戦(ミンドロ島サンホセ艦砲射撃)に参加。その後、昭和20年元旦にシンガポール・セレター軍港に入港、現地に繋留されている駆逐艦「天津風」水雷長、継いで艦長に着任。知る限りでは25歳、大尉の駆逐艦長は皆無で、帝国海軍史上最若年の艦長ではないだろうか。
ところがその駆逐艦「天津風」は、昭和19年1月16日、仏印サイゴン沖で輸送船団護衛中に交戦した米潜水艦「レッドフィン」によって、第一煙突より前の艦首部を失う大損傷を受けており、味方駆逐艦に曳航され危うく沈没を免れ、著者の艦長着任当時はシンガポールで仮艦首部・仮艦橋を接続工事中で、殆ど戦力発揮出来ない状態であった。
それでも幹部以下乗組員一同は、内地への帰還を希望し、敵の制空権・制海権下にある南支那海を鈍足の輸送船団と共に日本本土へ向かう「ヒ88J」船団を護衛して、昭和20年3月日、シンガポールを出港した。
しかし船団は苛烈な運命に斃れる。敵潜水艦、敵爆撃機の執拗な攻撃により、運にも助けられ、機転を利かせ奮戦した「天津風」を除く護衛艦艇5隻、輸送船4隻が沈没。多くは救助も儘ならず、殆どが一艦沈没生存者無し、という悲惨な戦闘であった。著者は本文中で繰り返し繰り返し、赤裸の海上護衛が無謀な作戦であり、それを幾度失敗しても繰り返し、敵に対するにも脆弱な対潜兵器、対空火器しか開発してこなかった日本軍の攻撃一辺倒の体質を強く批判している。本文を抜粋する。
『「ヒ八八J 船団」の護衛に加わった各艦の運命を思うとき、共に戦ってきた海防艦七隻のうち、二十六号は楡林で脱落、八十四号、十八号、百三十号、一号、百三十四号の五隻は沈没、一名の生存者もなく、「満珠」も大破して、艦長以下多くの戦死者を出した。こうして護衛艦の戦死者は千名に達し、水漬く屍となって遺骨もない。
この日、このような形で「天津風」だけが戦没者を荼毘に付し、厳粛な告別式を挙行できるとは、稀にみる幸運といわなければならない。』
ところがその駆逐艦「天津風」は、昭和19年1月16日、仏印サイゴン沖で輸送船団護衛中に交戦した米潜水艦「レッドフィン」によって、第一煙突より前の艦首部を失う大損傷を受けており、味方駆逐艦に曳航され危うく沈没を免れ、著者の艦長着任当時はシンガポールで仮艦首部・仮艦橋を接続工事中で、殆ど戦力発揮出来ない状態であった。
それでも幹部以下乗組員一同は、内地への帰還を希望し、敵の制空権・制海権下にある南支那海を鈍足の輸送船団と共に日本本土へ向かう「ヒ88J」船団を護衛して、昭和20年3月日、シンガポールを出港した。
しかし船団は苛烈な運命に斃れる。敵潜水艦、敵爆撃機の執拗な攻撃により、運にも助けられ、機転を利かせ奮戦した「天津風」を除く護衛艦艇5隻、輸送船4隻が沈没。多くは救助も儘ならず、殆どが一艦沈没生存者無し、という悲惨な戦闘であった。著者は本文中で繰り返し繰り返し、赤裸の海上護衛が無謀な作戦であり、それを幾度失敗しても繰り返し、敵に対するにも脆弱な対潜兵器、対空火器しか開発してこなかった日本軍の攻撃一辺倒の体質を強く批判している。本文を抜粋する。
『「ヒ八八J 船団」の護衛に加わった各艦の運命を思うとき、共に戦ってきた海防艦七隻のうち、二十六号は楡林で脱落、八十四号、十八号、百三十号、一号、百三十四号の五隻は沈没、一名の生存者もなく、「満珠」も大破して、艦長以下多くの戦死者を出した。こうして護衛艦の戦死者は千名に達し、水漬く屍となって遺骨もない。
この日、このような形で「天津風」だけが戦没者を荼毘に付し、厳粛な告別式を挙行できるとは、稀にみる幸運といわなければならない。』
戦死した祖父のことをインターネットで調べていて、乗船していた船の名前から、本書に辿り着いた。本文ではわずかに一箇所ではあるが、祖父の名前と戦死した時の戦闘の様子がわかる記述が認められた。
亡くなった祖母に「子供が好きな人だったので、きっと孫をかわいがってくれたと思う」と聞いていた。さらに「世が世なら、おじいさんと同じ道に当然のように進んだはず」だと言われ、若い軍服姿の遺影を見ながら子供心にどういう人だったのかを知りたいと思ったものだった。祖母に聞いた最期の状況と異なる点もあったので、新たな事実を知ることができて嬉しかった。
本書でも語られる戦略の無謀さ、前線の悲惨さというのは改めて語るまでもない。
ただ自分の経験からすれば、戦争経験者の方には、知っている限りを話して欲しい。あなた達の経験は語るのは辛いとは思うが、あなた達が戦争を通じて知り合った上官や同僚や部下、そして軍属や現地の人々にはそれぞれ係累があって、当時の様子を知って自分の中の戦争についての思いを確認し、完結したいと思っているからだ。士官であった著者の決断に感謝する。0
亡くなった祖母に「子供が好きな人だったので、きっと孫をかわいがってくれたと思う」と聞いていた。さらに「世が世なら、おじいさんと同じ道に当然のように進んだはず」だと言われ、若い軍服姿の遺影を見ながら子供心にどういう人だったのかを知りたいと思ったものだった。祖母に聞いた最期の状況と異なる点もあったので、新たな事実を知ることができて嬉しかった。
本書でも語られる戦略の無謀さ、前線の悲惨さというのは改めて語るまでもない。
ただ自分の経験からすれば、戦争経験者の方には、知っている限りを話して欲しい。あなた達の経験は語るのは辛いとは思うが、あなた達が戦争を通じて知り合った上官や同僚や部下、そして軍属や現地の人々にはそれぞれ係累があって、当時の様子を知って自分の中の戦争についての思いを確認し、完結したいと思っているからだ。士官であった著者の決断に感謝する。0