裏面: ある幻想的な物語 (白水Uブックス) の感想
参照データ
タイトル | 裏面: ある幻想的な物語 (白水Uブックス) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | アルフレート クビーン |
販売元 | 白水社 |
JANコード | 9784560071984 |
カテゴリ | ジャンル別 » 文学・評論 » 文芸作品 » ドイツ文学 |
購入者の感想
作者のアルフレート・クビーン(1877-1959)は生々しい夢や幻想を描く画家。フランツ・カフカやパウル・クレーと親交があり、彼らに影響を与えたと言われる。本書はクビーンが著した唯一の長篇小説。
画家の主人公の元へ、億万長者になった旧友パテラから使いが来る。彼が築いた夢の国に移住しないか、という招待がその用件だ。そこはペルレと名付けられた都市で、選ばれた者しか住めず、世間にその一切を秘密にしている。主人公は妻と共に赴くことを決めるが…。
物語の構成は巧みとは言えない。唐突な場面展開が多々あるし、終盤以外に関しては冗長な部分も少なくない。しかし、それを補って余りあるのが、想像を鮮烈に喚起する描写の秀逸さだ。特に、第二部の終わりに登場する一つの夢の細密な描写、そして夢現や美醜が入り混じるペルレの最期は物凄いの一言。また、時おり見られる哲学的な記述にも、興味深いものがある。
「グロテスクな終末の地獄図」…カバー裏の解説に見られるこの文句は間違いではない。腐敗、狂気、死などの執拗すぎるほどの描写があるのは事実だ。しかし、これは死と再生の物語でもあるだろう。死と生、夢と現、醜と美などに代表される対極(法政大学出版局から出た本作の別訳版は『対極―デーモンの幻想』と題されている)が混沌となって合わさっている、と言ってもいい。死や夢や醜の側に多大な重点が置かれているのは確かだが、目の覚めるような美しい場面もある。エピローグには、以下の言葉が見られる。
“私は自分の神(死)が半分の支配権しか持っていないということを、発見した。大なり小なり、彼は生命をねらっている敵対者とすべてを分けあっていたのだ。突き離したり引きつけたりする力、それぞれの流れを持っている地球上の極、四季の移り変わり、昼と夜、黒と白−−それらはいずれも闘争なのだ”
“造物主は半陰陽なのである”
画家の主人公の元へ、億万長者になった旧友パテラから使いが来る。彼が築いた夢の国に移住しないか、という招待がその用件だ。そこはペルレと名付けられた都市で、選ばれた者しか住めず、世間にその一切を秘密にしている。主人公は妻と共に赴くことを決めるが…。
物語の構成は巧みとは言えない。唐突な場面展開が多々あるし、終盤以外に関しては冗長な部分も少なくない。しかし、それを補って余りあるのが、想像を鮮烈に喚起する描写の秀逸さだ。特に、第二部の終わりに登場する一つの夢の細密な描写、そして夢現や美醜が入り混じるペルレの最期は物凄いの一言。また、時おり見られる哲学的な記述にも、興味深いものがある。
「グロテスクな終末の地獄図」…カバー裏の解説に見られるこの文句は間違いではない。腐敗、狂気、死などの執拗すぎるほどの描写があるのは事実だ。しかし、これは死と再生の物語でもあるだろう。死と生、夢と現、醜と美などに代表される対極(法政大学出版局から出た本作の別訳版は『対極―デーモンの幻想』と題されている)が混沌となって合わさっている、と言ってもいい。死や夢や醜の側に多大な重点が置かれているのは確かだが、目の覚めるような美しい場面もある。エピローグには、以下の言葉が見られる。
“私は自分の神(死)が半分の支配権しか持っていないということを、発見した。大なり小なり、彼は生命をねらっている敵対者とすべてを分けあっていたのだ。突き離したり引きつけたりする力、それぞれの流れを持っている地球上の極、四季の移り変わり、昼と夜、黒と白−−それらはいずれも闘争なのだ”
“造物主は半陰陽なのである”