日本語の哲学へ (ちくま新書) の感想

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参照データ

タイトル日本語の哲学へ (ちくま新書)
発売日販売日未定
製作者長谷川 三千子
販売元筑摩書房
JANコード9784480065537
カテゴリジャンル別 » 人文・思想 » 哲学・思想 » 哲学

購入者の感想

ハイデガーの哲学に関する解説を読むと、必ず存在論的差異という言葉が出てくる。存在者(存在物)と存在そのものをわけて考えろということだ。あれこれの存在者についてではなく、その存在者が存在するということの意味について考えるのが哲学の使命だというのだが、西洋の哲学はこの区別をつけるのが苦手らしい。しかし、日本語をつかう我われから見れば、「あるもの」と「あるということ」の区別は「もの」と「こと」の区別としてほとんど自明だ。ハイデガーの哲学は日本人にはなじみよい、というのが多くの人の感想だろう。

しかし、著者長谷川三千子はこの(廣松渉的な)「もの・こと論」は、西洋的な思想に日本語をあてはめただけで、日本語による根源的な思惟に達していないと批判する。「もの」は「もののあはれ」という言葉にあらわれているように単に物体を示すだけではないし、「こと」も出来事を示すだけではなく、事は言でもあるという。そして、古事記などの古代日本語の研究を手がかりに、日本語の意味の探求に乗り出し、「もの」には無の影を発見し、「こと」からは自らをあらわにする力を見いだす。

われわれは「もの」と「こと」という二つの語を持つことによって、この世界を、事物と事象という二つのジャンルに分けて眺めることができるのと同時に、この世界の生成と消滅との両側面を二つながらに凝視することができるのである。(232ページ)

ハイデガーの弟子だった和辻哲郎の遺産執行の試み、との体裁だが、廣松的な思索に絡め取られた日本語による哲学を解放する仕事としては端緒についたばかり、というかヒントぐらいで終わっている。とはいえ、著者独自の「もの・こと論」が展開される5章6章は示唆に富んでいる。また、予告されている「てにをは」のある日本語による哲学には期待を抱かされる。

古代日本語を解明するために引用される国語学者などの援用はやや恣意的か。

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