聖書を読む の感想
参照データ
タイトル | 聖書を読む |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 中村 うさぎ |
販売元 | 文藝春秋 |
JANコード | 9784163766003 |
カテゴリ | 人文・思想 » 宗教 » キリスト教・ユダヤ教 » キリスト教一般 |
購入者の感想
前著である「聖書を語る」の続編です。
今度は創世記、使徒言行録、黙示録を読んでいきます。佐藤さんと中村さんはそれぞれ何度も読まれているようですが、読み手によっても評価が異なるのが面白かったです。
中でも気になった話題は、やはり聖書や創世記の記述の中に存在するある種の矛盾に対する考え方です。例えば、アダムとイブを創造された、と言いながら、次の章ではアダムの肋骨からエバが造られている矛盾です。佐藤さんの意見は、納得は出来ないけれど、恐らくそういうった経緯というか信じる心があるんだと思います、でも、佐藤さんが繰り返し述べられる「不合理ゆえに我信ず」というのは含蓄の深い言葉であるとは思います。
もし、不合理だからこそ、神の摂理が働いた結果である、という事実を受け止めるならば科学的な反復性のある『事実』は必要なくなってしまいます。しかし、宗教から科学は生まれたわけで、結局この伝家の宝刀のような言葉は使いどころを誤ると非常に危険な思考停止を招く危険があるにも関わらず、確かに「魔術」的な魅力があり、使っている人と使われる人のタイミングが合うと人生を変えられるかのような威力がある事も分かりますので、判断が難しいです。個人的には中村さんがこの言葉を受けて言う「詭弁」という態度で臨みたいですが、だからと言って時と場合によっては・・・くらいのニュアンスの余地も残しておきたいです。
その他、リリスという別の女性の存在(そこに絡めてイザナギやイザナミの話しが出てくるのが面白いのです)、また蛇というやはり神が造りし存在がエバを陥れるという事の意味を考える「悪魔」とは何か?もスリリングな思考実験のようでいて、ヨーロッパの思想史も齧れてしまうトリビアルな楽しみがあります。まさか「悪魔」から「善の欠如」を経て「ヴィトゲンシュタイン」や「言語学」の話しに至るとは思いませんでした。
今度は創世記、使徒言行録、黙示録を読んでいきます。佐藤さんと中村さんはそれぞれ何度も読まれているようですが、読み手によっても評価が異なるのが面白かったです。
中でも気になった話題は、やはり聖書や創世記の記述の中に存在するある種の矛盾に対する考え方です。例えば、アダムとイブを創造された、と言いながら、次の章ではアダムの肋骨からエバが造られている矛盾です。佐藤さんの意見は、納得は出来ないけれど、恐らくそういうった経緯というか信じる心があるんだと思います、でも、佐藤さんが繰り返し述べられる「不合理ゆえに我信ず」というのは含蓄の深い言葉であるとは思います。
もし、不合理だからこそ、神の摂理が働いた結果である、という事実を受け止めるならば科学的な反復性のある『事実』は必要なくなってしまいます。しかし、宗教から科学は生まれたわけで、結局この伝家の宝刀のような言葉は使いどころを誤ると非常に危険な思考停止を招く危険があるにも関わらず、確かに「魔術」的な魅力があり、使っている人と使われる人のタイミングが合うと人生を変えられるかのような威力がある事も分かりますので、判断が難しいです。個人的には中村さんがこの言葉を受けて言う「詭弁」という態度で臨みたいですが、だからと言って時と場合によっては・・・くらいのニュアンスの余地も残しておきたいです。
その他、リリスという別の女性の存在(そこに絡めてイザナギやイザナミの話しが出てくるのが面白いのです)、また蛇というやはり神が造りし存在がエバを陥れるという事の意味を考える「悪魔」とは何か?もスリリングな思考実験のようでいて、ヨーロッパの思想史も齧れてしまうトリビアルな楽しみがあります。まさか「悪魔」から「善の欠如」を経て「ヴィトゲンシュタイン」や「言語学」の話しに至るとは思いませんでした。