ラカンはこう読め! の感想

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タイトルラカンはこう読め!
発売日販売日未定
製作者スラヴォイ・ジジェク
販売元紀伊國屋書店
JANコード9784314010368
カテゴリ人文・思想 » 哲学・思想 » 西洋思想 » 西洋哲学入門

購入者の感想

本書は、ラカンの難解な概念の解説書ではない。帯にあるように「入門書」と呼ぶのが相応しいかどうかは疑問だ。本書は、むしろ、ラカンの編み出した諸概念(たとえば「想像界」「象徴界」「現実界」の三幅対や、「対象a」など)を自在に使って、映画や文学、現代社会を紐解くエキサイティングな思想書だ。そして、思想とは畢竟、実践されなければ無意味であることを思えば、難解なラカンの理論を用いて、現代社会を、ひいては我々自身への見通しの良い視座を切り開いてくれる本書は、思想書としても白眉だ。

 ジャック・ラカンやスラヴォイ・ジジェクに強い影響を受けている日本の思想家は多いはずだ。たとえば、「現代を生きる我々は、『自由であれ』と強制されている」…という、社会学者の大澤真幸氏の指摘があるが(たとえば『不可能性の時代』)、これに該当する記述はラカンのセミネールに既に見られるのだ。(本書p.138 「楽しみを強制するものはない。超自我を除いて。超自我は享楽の命令である。『楽しめ!』」)

 資本主義社会の不平等について触れつつ、ジョン・ロールズの『正義論』の案を批判する箇所なども興味深い。

 羨望と怨恨とが人間の欲望の本質的構成要素である…(中略)…ロールズが提唱するのは、階層が自然な特性として合法化されるような恐ろしい社会モデルである。そこには、あるスロヴェニアの農夫の物語に含まれた単純な教訓が欠けている。その農夫は善良な魔女からこう言われる。「なんでも望みを叶えてやろう。でも言っておくが、おまえの隣人には同じことを二倍叶えてやるぞ」。農夫は一瞬考えてから悪賢そうな微笑を浮かべ、魔女に言う。「おれの眼をひとつ取ってくれ」…(中略)…まさに資本主義の不正そのものが、資本主義の最も重要な特徴であり、これのおかげで、資本主義は大多数の人びとにとって許容できるものなのだ。(本書pp.68-67)

 ラカンを通して、現代の世界を、我々自身の内奥を、そして映画と文学を目一杯語る、ジジェクの世界にようこそ。

ついにジジェクが書いた、ラカン入門。直訳すると『ラカンの読み方』。

ジジェクはこれまでにいくつも著作を出してるが、これはその総集編といえるかもしれない。

ご存じの通り、ジジェクのスタイルは厳密な意味での「ラカン読解」ではない。
ラカンの用語や図式などを、微に入り細に入り解説してはくれない。

そのかわり、ジジェク得意の「ねじれた」もの言い、通称「ジジェク節」でラカン的思考パターンを次々に陳列してみせる。

たとえば、「男は女に化けることしかできない。女だけが、女に化けている男に化けることができるのだ。なぜなら女だけが、自分の真の姿に化ける、つまり女であるふりをすることができるのだから。」(本書195ページ)という箇所。

これは、ラカンの「女は存在しない」という発言のパラフレーズである。

この発言はとかく評判が悪く、フェミニズム方面からの批判も多い。しかし、これは決して女性蔑視の発言などではない。

ラカンは、「『これが女性だ!』と語った途端、そこからすり抜け、抜け落ちてしまうのが女性の本質であり、つまり女性の本質などというものはない」と云っている。
「定義不可能」というのが、唯一可能な定義なのである。

これは、言葉=シニフィアンの根底にあるのが「父の隠喩」という、特別なシニフィアンであることと関係がある。
要は、「これは〜だ」というような語り口はそれ自体が「父=男性」的な身ぶりなのである。
女は、いつでもそのような身ぶりの「向こう」にしか存在しない。
「女は存在しない」というのが、女性に固有のありよう(?)なのだ。

さて、「女に化ける男」は、本当は男である。
しかし、「女に化ける男に化ける女」とは、いったい何なのか?
それは当然ながら男性ではないし、困ったことに女性でさえない。本当は女性であるならば、そもそも「女性のふり」など出来るはずがないのだから。

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