沖縄の不都合な真実 (新潮新書) の感想

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タイトル沖縄の不都合な真実 (新潮新書)
発売日販売日未定
製作者大久保 潤
販売元新潮社
JANコード9784106106019
カテゴリジャンル別 » 社会・政治 » 軍事 » 軍事入門

購入者の感想

この著者は、基地反対運動によって無駄な税金が注ぎ込まれていることを憂いでいると言いたいのだろうが、怒りの矛先がズレているというか、そもそも米軍基地に反対なのか、賛成なのか、よくわからない。沖縄が経済的に貧しく、基地に頼らなければならない原因は、基地の振興費に頼っているからで、それが自立心を阻害している。だから自立できれば基地は自然と減るだろう、と言っているように読める。振興費に頼らず、貧しさに耐え、自力で経済を振興し、基地が要らないことを証明すれば基地はなくなるということか?政府が地位協定の解消や基地削減に努力すべきであることには触れず「政府は大変な努力をしているが一歩も動かない」としか言っていない。それどころか、自衛隊と米軍をくそみそにして、基地の負担で言えば沖縄の基地負担は本土より遙かに小さいと言っている。日本政府もこの支局長と同じ考えなのだとすれば、米軍基地がいっこうに減らないのもうなずける。自衛隊基地と米軍基地では全く意味が違う。米軍基地には地位協定がある限り、何も言えない。泣き寝入りをするしかない。この不公平を解消することが第一であり、米軍基地の大部分を抱えているのが沖縄である。

翁長知事の「オールおきなわ」という表現に以前から引っかかっておりました。
私はダイビングを趣味にしている関係で沖縄県(離島を含め)を訪問することが
多く、過去50回以上の訪問をしております。
その中で以前から疑問に思っていたことがあり、
本当に沖縄の県民がすべて基地に反対しているわけではないことを
知っていました。恩恵を受けている人で基地の存在を喜んでいる人もいます。
また、辺野古でも基地の移転を歓迎している人もいます。
しかし、沖縄のメディアはほぼすべて、基地反対です。おかしいですね。
この本のおかげで沖縄の真実がよくわかりました。
著者の大久保さん、篠原さん、よく事実を書いてくれました。

沖縄については、本土の人間は、通常「戦争と基地の島」、唯一太平洋戦争で地上戦を経験した悲劇の島、ひめゆり学徒の悲劇等々、悲劇、悲惨、「被害者」である沖縄というイメージに取りつかれている。正に、「刷り込み」されている、と言っても良いだろう。
しかし、そのようなイメージは、本土の大手メディア・知識人が勝手に作ったイメージであり、幻想であることを紹介する。
例えば、本書の第6章本土がつくったオキナワイメージには、元・沖縄副知事の高良倉吉氏が、「いつのまにか、沖縄人は大江健三郎と筑紫哲也が言う被害者沖縄のイメージ通りに振る舞うクセが付いてしまった。」と言ったことがあったと書いています。
美しい自然・風景の沖縄というものさえ幻想である、とまで言っています。
本書は、本土の大手メディア(新聞、NHK等)だけを見たり、読んだりしただけでは分からない、あまり知られていない沖縄の現実が書かれている、と思います。 

朝日や毎日の記者では書けないジャーナリストとして政治的思想が排された「中立な分析」は、
沖縄在住である私が読んでも十分に納得できる内容です。

前半は沖縄の状況を伝える為?皆さんのよくご存知の内容ですが、
読み進めると徐々に「沖縄の不都合な真実」が明るみになっていくのです。

第八章 異論を封殺する沖縄のジャーナリズム では
慶良間諸島での住民集団自決に軍命がなかったとする上原正稔氏のコラムを
自社の方針と違うという理由で掲載拒否した事で、 琉球新報社と裁判で争った
「パンドラの箱」事件を扱っている。
(この裁判、琉球新報社では報じず 大手マスコミで報じたのは産経のみ)

また辺野古移設を容認するような内容の本を自費出版する事さえ出来きない
同調圧力など沖縄の危険な言論封殺を暴露しています

本書の内容は総じて 沖縄保守層にも耳の痛い話かもしれないが、
沖縄差別論や沖縄「的」平和活動・実現不可能は独立論に胡坐をかく 
左派・リベラルとしては知られたくない、”まさに「沖縄の不都合な真実」です”
 
目次
序章 沖縄はこれからどうなるのか
第一章 普天間基地の何が問題なのか
第二章 高まる基地への依存
第三章 「基地がなくなれば豊かになる」という神話
第四章 広がる格差、深まる分断
第五章 「公」による「民」の支配
第六章 本土が作ったオキナワイメージ
第七章 「沖縄平和運動」の実態と本質
第八章 異論を封殺する沖縄のジャーナリズム
第九章 「構造的沖縄差別論」の危うさ

この本に記されていることは、他の書籍等で度々指摘されてきた出来事の総集編とも言えるのではないか。

沖縄において「平和活動家」を自負する人たちは反米・反基地こそが正しいとの一点張りであるが、
去年(2014年)の沖縄県知事選挙を境にいわゆる「オール沖縄」を掲げ "基地反対を言わない者は沖縄人ではない"
と言わんばかりの勢いでまくしたてる始末。沖縄に住んでいる者としてはいくらなんでもやり過ぎではないかと思う。

力でもって言論を封殺する、活動家とは異なる考えを持っている者たちを異端者として排除するような・・・言ってしまえば
魔女狩りを行うことが果たして平和的活動と呼べるのか?これこそ平和という名の暴力ではなかろうか。

彼らは事あるごとに「沖縄は差別されている」と言う。
確かに彼らはソト社会(他府県・海外など)に対して「沖縄は差別されている、沖縄は日本の一部であるはずなのに日本として扱われていない、沖縄は日本の内国植民地である」等々、沖縄を差別する日本社会を批判し対立構造を印象付ける。

だが彼らの言うことを鵜呑みにしないほうがいい。

ソト社会に対しては"差別され虐げられている沖縄"を演出するがウチ社会においては一転して、
"沖縄の将来を決めるのは沖縄自身であって日本政府でもアメリカでもない" と相手に応じて沖縄の立ち位置を使い分けている。
自らの権力を誇示するため「敵」を作り対立を煽る手法は独裁国家と変わりないのではないか。

特定の団体と異なる考えを持っている住民の声を無視するばかりか一方的な価値観を押し付け反米感情を煽ることが「平和」であるかのような言い方は良くないと思うし、様々な主義主張があるにせよ超えてはならない一線もある。目まぐるしく変化している東アジア情勢の中で、これ以上沖縄での混乱が長引けばこれこそ第三国に付け入る隙を与え取り返しのつかない事態になるのではないかと危惧している。


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