場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫) の感想

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参照データ

タイトル場所の現象学―没場所性を越えて (ちくま学芸文庫)
発売日販売日未定
製作者エドワード レルフ
販売元筑摩書房
JANコード9784480084798
カテゴリジャンル別 » 人文・思想 » 哲学・思想 » 論理学・現象学

購入者の感想

地理学の分野以外では、レルフといえば1977年の本書、そして「没場所性」しか取り上げられないのが常だ。そして大抵次のようなタイトルの下に紹介されている――没場所性の克服、没場所性に抗して、場所の復権、云々。
そりゃぁある視点から見ればレルフのいう没場所性というのは確実に世界を覆い尽くしていくように見えたのだろう。たとえば「マクドナルド化」や「グローバリゼーション」といった言葉も同じような視点から世界を見据えている。
しかし没場所性と場所性、という単純な両極設定はすでにレルフ自身によって自己批判されていることでもある。彼(現在はTed Relph名義が多い)いわく、ベトナム戦争終結前後に書かれていた本書には、モダニズムと伝統という、今から見ればどうしようもなく単純な二分法が背後に隠されていた。現代は、少なくとも認識論的にはポストモダン、後期近代などさまざまな「モダン以降」が氾濫する時代であり、そのような時代に没場所性という、場所への感覚にこだわりすぎた概念を使うのは慎重にならねばならない、と言う。特に没場所性と誤解されがちな近代におけるモノや人の流動性の激しさが場所の感覚を損ねることはありえない、とまでレルフは言っている。
これはミクロなレベルから人々の実践や感覚を研究してきた文化人類学のほうからも提出されてきていた異論だった。

とはいえ、今となってはあまりにお気楽な近代批判・克服の道具と成り果てている「没場所性」や本書ではあるものの、レルフ自身が指摘しているように、たとえば本書で見落とされていた政治的側面、あるいはアイデンティティや場所の所有と密接に結びつく権力や排除的暴力、などといった観点から没場所性を新たな概念として構築していくこともまた、不可能ではない。
イーフー・トゥアンとともに70年代を風靡した現象学的場所論は、80年代後半以降、後期近代という自覚とともにルフェーヴル、ハーヴェイやソジャなどのマルクス主義的空間論によって押され気味の感はある(日本ではちゃんとした場所系現象学の本や翻訳が少ない。ようやく最近『場所の運命』が出た程度)。とはいえ、上記のように、批判的に、または生産的に読むことが今でもできる、そういう意味で『場所の現象学』はれっきとした「古典」であろう。

科学的地理学への反省から、直接的に経験され、生きられる空間として「場所」を捉えなおそうという現象学的地理学の「古典」である。

目次は以下の通り;

第1章 場所および地理学の現象学的基礎
第2章 空間と場所
第3章 場所の本質
第4章 場所のアイデンティティ
第5章 場所のセンスと本物の場所づくり
第6章 没場所性
第7章 現代の景観経験
第8章 場所のゆくえ

第1章では、「地理学」そして「場所」についての、様々な異なった論者の定義が概観される。場所および地理学の現象学的基礎として「地理的知識の基礎は私たちが自ら生活している世界についての直接経験と意識のうちに存在する」というテーゼが提示される。

第2章では、実用的空間・原初的空間、知覚空間、実存空間、聖なる空間、地理的空間、建築的・計画的空間、認識的空間、抽象的空間という、非常に多様な「空間」についての分類が論じられる。これらの多様な空間形態は、空間の多様で幅広い意味を表すものである。それぞれの空間は一つ以上の空間と重複混交し、極めて多層的な空間形態を示す。

続く第3章では、場所と位置、場所と時間、共同体の場所、公共の場所、個人的な場所、根付くことの重要性が示される。「根付くこと」とは人間と世界との関係の基礎であり、個人及び社会の一員としてのアイデンティティの基礎としての場所である「住まい」は、他とは代え難い意義の中心を構成する。興味深い点としては、同時に場所の重荷としての「ノスタルジー」である。17世紀の発見当時は「死に至る病」とされ、一つの場所に縛り付けられることの悲惨さの証左として示されている。

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