ニッポンの音楽 (講談社現代新書) の感想

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参照データ

タイトルニッポンの音楽 (講談社現代新書)
発売日販売日未定
製作者佐々木 敦
販売元講談社
JANコード9784062882965
カテゴリエンターテイメント » 音楽 » J-POP・日本の音楽 » J-POP

購入者の感想

「リスナー型」と著者が呼ぶタイプのミュージシャンを、70~00年代ごとに紹介するというもの。明らかに、著者にはこの一連の叙述をとおして、日本文化論を開陳したいという意図が先行しているように見えます。それを「ニッポンの音楽」とは、またずいぶん大きく出たなぁと思いますが、まー新書のタイトルなんてそんなもんですね。でも、そんなことをしたいのだったら、一層、よりポピュラーなミュージシャンを取りあげるべきだったのでは? と根本的なところで疑問があります。

 
さて終盤に、今や「『内』と『外』という区別は、ほとんど意味を持っていません」「夢や想像とは無縁の、単にリアルな『ここ以外』でしかない」と著者は述べますが、果たしてそうでしょうか。最後の「Jポップの葬送」はやや唐突の感があるし、ちょっと意味も読み取れないのですが、とりあえずKenichi HIGUCHIさんのレビューに同意したいと思います。つまり、依然として、Jポップは特殊日本的な文化であり、洋楽との懸隔は開いたままであると。

なるほど、capsuleの曲聴くと「そうかも」と思うけど、この辺は、やっぱ現在のJポップの中心にもっと目を向けて、日本の音楽市場の特異性を考慮する必要があったのではないでしょうか。要するに言いたいのは、シングルヒットチャートをここ数年占拠しているアイドルの方々のことなんですが、、、本書にもいくつかある記述を拾ってみます。

まず、本書は、細野晴臣の「キャラクターで売れてくる国」という言葉を引き、それをフリッパーズ・ギターにも当てはめています。もうひとつ、これには思わず膝を叩いたのですが、「日本という国は文化的な(そして、それだけではない)自閉=鎖国を、ほぼ完成しつつある」と著者は述べています。これは「日本の伝統文化への回帰」という意味ではもちろんなく、日本という場所が「外」すらも「内」の中に取り込んでしまう様を指しています。さらに「そこには、海外文化へのコンプレックスと、自国文化へのこだわりが、複雑に入り交じりながら両方とも存在した」。そして、この「『外』を『内』に包含しようとする」過程はゼロ年代で完成し、「もはやどこだって、いつだって『ここ』になってしまった」と著者は言います。

 内容紹介からも予想できるように、本書に描かれるのは普通想定されるような邦楽の歴史ではない。つまり、「ヒットチャートを見ながら流行の変遷を追う」みたいな話ではない。目次に掲げられているのは、確かにいずれも非常に有名なミュージシャンだが、邦楽―Jポップの中心だったかというと小室哲哉以外はそうと言えないだろう。(ちなみに、内容紹介や帯には他のミュージシャンの名前も挙がっているが、さらりと触れられているだけ。ファンだからって無理に手に取るほどでもない)
 しかし、単に年代ごとに選ばれたミュージシャンを紹介するだけという話でもない。著者の狙いは、日本のポピュラー音楽(究極的には現代日本文化)の本質を捉えることにあり、各年代の主人公とされたミュージシャンたちに大して興味がなくても読ませる記述になっている。もちろん「全く知らないし興味もない」だとさすがにキツいと思うが。

 
 ではどんな話かというと、こんな感じ。
 まず大まかなフレームとして、「内=日本」と「外=欧米」の対比がある。グローバリゼーション(という言葉は本書に出てこないが)ってやつにより両者の距離はどんどん縮んでいく。次第に、海外の最新の曲がすぐに輸入されるようになってくる。最終的には、インターネットによって時間差はゼロになった。
 次に各年代の主人公とされたアーティストたちの共通項は「リスナー型」と呼ばれている。何よりもまず「重度の音楽ファン」であり、音楽鑑賞(インプット)が作・編曲(アウトプット)と限りなく一体になっているようなミュージシャンのことである。
 そういうわけで、環境の直線的変化をタテ糸に、その各時点における「リスナー型ミュージシャン」たちの音楽活動をヨコ糸にして語られるのが、本書の「歴史=物語」である。

Facebookで流れてきて知った本。 音楽といってもポップが主で例えばVowWowなどは出てこないが、はっぴいえんど、YMO、中田ヤスタカ(perfume  etc)などが出てくるのはちょうど頭の整理をしたかった分野。

 特に昔聴き込んだYMOについても知らなかったことが結構あり、またYMO前夜くらいの認識であったはっぴいえんどの存在の大きさを知ることになった。日本語ロック論争も興味深い。

 海外のロック⇒(技巧の深化に対する)アンチとしてのパンク⇒ポストパンクなどに絡めて、「リスナー型ミュージシャン」、内と外、今と今でないいつか、などの視点で流れがわかりやすく解説されている。大きくJポップ以前と以後に分かれているのだが、Jポップというものはもともと日本が「音楽の本場ではない感」を内包しているのか? 内と外の区別はもうなくなったと述べられているが、であればJポップも(あえてJポップと名乗ることは)存在意味はなく、おそらくそれを葬送と述べているのだろう。しかし、未だに「本場でない感」根強いと私には思われる。そしてそれを打破してくれそうなアーチストが渇望され続ける、という段階ではなかろうか。

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