わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) の感想

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参照データ

タイトルわたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)
発売日2012-08-01
製作者カズオ・イシグロ
販売元早川書房
JANコード登録されていません
カテゴリジャンル別 » 文学・評論 » 文芸作品 » 英米文学

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫) とは

アヘン取り引きに絡んでいたイギリス人ビジネスマンの父親が上海の自宅から突然姿を消したとき、9歳のクリストファー・バンクスは友だちのアキラと探偵ごっこに夢中だった。「中国人街のうさぎ小屋のような路地で追いかけっこや殴り合い、撃ち合いをしたあと、詳細は違っていても決まって必ず、ジェスフィールド公園での壮大な儀式で探偵ごっこは締めくくられた。その儀式で僕たちは、一段高くなった特別ステージにひとりずつ上り…拍手喝采を送る群衆に向かって挨拶するのだった」
次いで母親までもが行方不明となったクリストファーは、イギリスへ送られることになる。2つの世界大戦に挟まれた時代を彼はそこで過ごし、やがて「自称」有名な探偵になる。しかし家族を襲った運命が彼の頭から離れることはなかった。クリストファーは懸命に記憶をたどり、両親の失踪に何らかの意味を見出そうとする。そして1930年代末、彼はついに上海に戻り、自分の人生において最も重要な事件の解決に乗り出すのだった。しかし調査を進めるにつれ、現実と幻想との境界線は次第にあいまいになっていく。彼の出会った日本兵は本当にアキラなのか。両親は本当に中国人街のどこかに監禁されているのか。そして、何か重要な祝典を計画しているらしいグレイソンというイギリス人の役人はいったい何者なのか。「まず何よりも先にお聞きしたいのはですね、儀式の会場をジェスフィールド公園にすることでよろしいかということです。なにしろ、かなり大きなスペースが必要となりますのでね」
『When We Were Orphans』でカズオ・イシグロは、犯罪小説の伝統的な手法を用いて、少年時代のトラウマが落とす影から逃れられないでいる困惑した男の心情を感動的に描き出している。シャーロック・ホームズは推理の際、泥のついた靴や袖についた煙草の灰といった断片的な証拠で事足りた。しかしクリストファーに残されたのは消えゆく遠い昔の記憶だけ。彼にとって、真実はもっとずっと捕らえ難いものだった。小説は一人称で書かれているが、クリストファーの慎重に抑制された語りには冒頭からほころびが見られ、彼を通して見る世界が必ずしも信頼できないことを暗示する。そのため読者は、自らもまた探偵になることを迫られ、クリストファーの記憶の迷路を真実のかけらを求めてさまようのである。
イシグロはもともと派手な弁舌に走る作家ではない。しかし、この作品に漂うもの静かなトーンは、かえって強く感情を揺さぶってくる。『When We Were Orphans』は見事なまでにコントロールされた想像力の傑作である。そしてクリストファー・バンクスは、著者の創造した人物のなかでも、最も印象的なキャラクターのひとりと言えるだろう。

購入者の感想

突然の両親の失踪にも動じなかった主人公は、心はずっと孤児のまま、大人になってもずっと、両親に会えると信じ、探し続けていた。
その間、世界は激変し、幼友達や恋人が過酷な運命に巻き込まれていく。
そして、彼が夢から覚めた時に見たものは…,

後半の、戦火に踏みにじられた人々の生活の凄惨さ、愛犬を守ろうとする少女の運命に思いをはせ、涙が出そうになった。

入りやすい文体で、彼の世界に引き込まれます。
日の名残りと同じように、主人公が現在を生きながら過去に思いを巡らせる物語です。
最終的に、過去と現在が上手に収束し、何とも言えない気持ちを味わえます。
日の名残りよりもボリュームがありますが、薄っぺらさは全くなく、ページ数の分だけ複雑さや奥行きがある作品です。
読後の充足感は日の名残りの圧勝ですが、これはこれで気持を持って行かれます。
食事よりも本を読みたくなる作品です。

美しい「ただそこにいる」母。アキラいわく「ノスタルジックになる時思い出すんだ、子供の頃に住んでいた今よりも良い世界を。思い出して、良い世界がまた戻ってきてくれればと願う。だからとても大切なんだ。」彼が描くこの世界はとってもきれいで、ふわふわとした優しさがあって絶妙だとおもった。

また、生きることの使命感、「イギリス人らしく」「日本人らしく」というアイデンティティへのこだわりは共鳴できた。

一つ好きでなかったのは、クリストファーの母親のいく末のストーリーと描写は、息子を守るための犠牲という対比のために作られた感が強く、少々不快だった。

1930年代の上海が舞台と言うことに惹かれて読み出した。
主人公の少年は英国人だが英国に住んだことがない。
上海の租界地で生まれ育った。日本人の少年とも対等な友達として楽しくくらしていたが、戦争の暗雲は、彼らを包み込んで行く。
自国が列強の国々に租界地にされて行く中国の悲惨さ。東洋のパリと称された華やかさは、裏にとんでもない暮らしが横たわっていた。
両親が、突然行方不明になった英国人の少年には帰るべき故郷は無かった。
日本軍が刻々と迫ってくる恐怖の中必死に生きる少年。
両親を何とかして探し出そうとする。

背景の社会はアヘンを利用した国は英国だけでは無かった。
中国国内の国民党と共産党の争い、実に混沌とした時代は、個人の生活を翻弄してしまう。

最後までドキドキワクワクしながら読んだ。

人が評価する自分と、自分が思っている自分のギャップには、時々驚かされる。そんな経験が誰にもあるのではないか。主人公はかなりうまくやってきたと自負していたが、幼年時代からの想い出の中に小さなささくれの様な違和感を見つけ出す。その違和感の積み重ねを考察して過去に迫って行く。推理の手掛かりは、拡大鏡で見つけた煙草の吸殻や足跡ではなく、主人公の記憶なのだ。面白い。そして切ない。 
また、この小説は3人の女の物語でもある。母と、恋人と、娘。特に母という女の物語は激しい。それぞれの女の信念の結末は、カズオ・イシグロ独特の残酷さでコテンパンに暴かれる。

「日の名残り」にしても本書にしても、イシグロの作品を読むと、「喪失感」という言葉が浮かんできます。私達は生きている間にいろいろなものを失っていく。時にはかけがえのない大切なものを、自分がそうとは知らぬ間になくしていき、後から振り返ってそれに気づくのだが、そのときはもう全てが終わっている。本書を読むとそんなメッセージが伝わるように思います。
物語の前半は比較的ゆっくりと登場人物のあり方が描かれているのに対して、後半は下手すると荒唐無稽な展開が繰り広げられ、驚きと不安を読者に持たせ、一気に切ない大団円を迎えます。
喪失そのものは哀しく切ないのですが、しかし読後感は決して悲愴感だけではありません。失うことを現実としてあるがまま受け入れ、はじめてそこから何かが始められる、そんなそこはかとない希望を持たせてくれる、素敵な小説でした。

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