八日目の蝉 (中公文庫) の感想

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参照データ

タイトル八日目の蝉 (中公文庫)
発売日2011-01-22
製作者角田 光代
販売元中央公論新社
JANコード9784122054257
カテゴリ » ジャンル別 » 文学・評論 » ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

購入者の感想

昔から探偵小説(推理小説)しか読まない私ですが、映画を見てとても良かったので(永作さんの芝居に感心しました。)、本も読んでみました。映画より登場人物も多く内容が詳しいのと、結末に違いがありこちらはこちらで、面白く読みました。ドラマも是非観てみたいと思います。

池澤夏樹が解説で、これは女の話だ、でてくる男はことごとく情けない、と書いている。情けない、というよりも、男たちは本質的ではない、家具のような存在として描かれる。母性は文化に関係なく重視される ー 母親の存在は世界中どこでも絶大である。しかし日本現代文化においては特に親子関係から男を排除するという意味にいおいて、抱擁ではなく排除という機能において母性は特に重きをなしている(それはたとえばイクメンという破廉恥なまでに軽薄かつ卑屈な造語にも逆投影されている)。この”母性”に対する批判としてはたとえば江藤淳「成熟と喪失」の上野による批判が挙げられるだろう。
 引用:>>
江藤がうすうす気づいているように、「農民社会」でのなかでは「母子密着」などおきようがない。母親は労働に忙しいし、母は子にたんに無頓着なだけである。いずれにしても伝統社会のなかでは子供たちはたいして手もかからずに育ち上がる。

「母子密着」が起きるのは、「近代」にはいってから、中産階級のあいだでのことである。生産の場から放逐され、「母」であることにだけ存在証明がかかるようになった「専業の母」が成立してからのことである。
<<
この小説で描かれる"母性"は生物学的な系譜とは無関係の”母性”である。逆に生物学的に正統性のある母親は、江藤が現代の典型として指摘する「壊れた母性」にほかならない。関係はねじれているが、母であることを常に証明せねばならぬ覇道の母、社会(男)から排除された・排除する存在という点において、排除型・密着型母子の理想形とも言える姿をこの小説は描き出しているのである。

とはいえ。

「その子はまだ朝ごはんをたべていないの」。

このたったひとつの台詞を中心にすべてが配置されていると私は感じた。せつない言葉である。

不倫の果ての誘拐犯・犯罪者に共感したり感動したりするのが信じられないというようなレビューが散見されます。

しかし「見下げ果てた人間も文学的には生きる価値がある」という今東光の言葉を借りるまでもないですが、不倫や犯罪は絶対悪なのだから必ず糾弾の対象として描くべきである。犯罪者への同情を誘うようなのはもっての外・・・という意見には同調できません。
レ・ミゼラブルなどもそうですが、古くから犯罪者に共感し感動させられる名作はいくらでもあります。
見下げ果てた犯罪者も一個の人間であり感情も愛情も持ち合わせている。
それを描けば同じ人間としての共感も感動もあって当然です。

私も子を持つ親なのでもちろん現実の乳幼児誘拐などに共感できるはずはありません。
しかし現実には共感しえない誘拐犯の立場でものを考えたり、逃亡者の心情や誘拐した子供に対する母性愛などを感じ取ることができるのが文学作品の良さだと思うのです。

そういう意味でこの作品は「上手い」です。

第一章の主人公は不倫相手の子を乳児期に誘拐して自分の娘として4歳ごろまで育て、逮捕されても被害者家族に謝罪もしない。
普通に考えればとても身勝手な誘拐犯の女性にすっかり感情移入して泣かされてしまいました(私は男性です)。
絶対逃げ延びることはできないと思いつつ、少しでも長く逃げ延びて欲しいと願いました。

第二章で誘拐犯を”母”として幼児期まで育てられた女の子が成人して後、”母”の最後の言葉を思い出すシーンは号泣ものでした。

すっかり作者の術中にはまってしまいましたが、私は幸運な読者だと思います。

  今でも最後のシーンは、思い出すだけで涙が出そうになります。自分のこれまでの読書は、あの場面にめぐり会うために在ったんだ、と思ったくらい。

 最初と違う感想は、第1章の希和子に共感できなくなったことかな。一線を越えざるを得なかった希和子の心境は、すごくよくわかります。彼女の情熱には、読み手を揺さぶる力があることも。でも、いつまでも続くはずのない擬似の親子関係が豊かになればなるほど、何も知らない薫(恵理菜)が傷ましくて・・・。

 「なぜわたしだったの?」
 希和子、恵理菜、千草、母、父、妹。 選べなかった「わたし」を抱える全ての人に希望が感じられるところがいいですね。 母が、妊娠した恵理菜のお腹意外をたたく場面が心に残ります。。

 事実関係や裏設定など、緻密に練られていますね。逃亡中の希和子の偽名が本名をもじったものだったり、恵理菜の家庭において、幼い真理菜がいちばん適応力があったりする点など、ディテールがとにかくリアル。エンジェルホームや小豆島、恵理菜が暮らす町などの情景描写も映像が浮かびやすい。80〜90年代の時代背景を絡めた会話も、物語の世界に引き込んでくれます。

 その才能があったとしても、母性だけでは人とはつながれない。戸籍も血縁もなく、絆のみが確かなものだった場合、関係性までもが否定されてしまうのか。犯罪を通して鋭く語られる母性の本質。

 与えられなかったもの、与えられたもの、与えたいもの・・・全てを受け止め乗り越えようとする恵理菜と千草。もう会えない薫の幸せを願う最後の希和子。不完全で時には愚かな人間の、等身大の素晴らしさが描かれています。

 本棚にある本作のハードカバー版も、すっかりボロボロになりました。

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