親のための新しい音楽の教科書 の感想
参照データ
タイトル | 親のための新しい音楽の教科書 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 若尾 裕 |
販売元 | サボテン書房 |
JANコード | 9784908040009 |
カテゴリ | » 本 » ジャンル別 |
購入者の感想
「○○のための」という書名は、ともすると○○以外の人は関係ないから・・という姿勢になってしまいがちだが、手にとって読んでみると、どこがどこが・・○○以外の人たちにもめっちゃウケるっていう本は世の中たくさんある。この本のタイトルにあえて「親のための」と書かれているのは、「親」以外の人には知られないように、こっそり読んでね・・というニュアンスなのだろうか・・とも思えてしまうこの本。つまり、教育者側に読まれると今やっていることに同意しかねるというメッセージも多分に含まれているからである。
この本は、日本が明治期から、現代の音楽システム、音楽教育に急に塗り替えてしまったことから波及して、さまざまなところで行われていることについて、疑問や異議を唱える形で、紹介している。 著者は、「やらせ」「やらされ感」「強制」といったようなものに抵抗や違和感を唱えている。現在一般化しているお作法にも、どうしてそうでなければならないかと唱えられている。
幼稚園、バイエルでのまずはなんでもハ長調主義のような傾向、なぜ日本民族が今まで文化になかった西洋音階やリズムをスムーズにできないからといって、音痴やリズム感のないヤツというレッテルを貼られなければならないか、なぜ音楽の時間に一人ずつ人前で歌わなければならないか、音楽は楽しくなければならないのか、大きい声で歌わなければならないのか、ミスに対する許容性のなさから息苦しくなってきている面もあるのではないのか、などなど。
この書物は、音楽について書かれているというより、むしろ思想書ともいえよう。そもそもなぜ、学校にいかなければならないか・・ということまでも記されている。現在社会で浸透してしまった「ねばならない」と認識されていることにNo!をこれでもか、これでもか・・といった感じであらゆる側面から掘り出してきているのではないだろうか。
たぶん著者は、序列をつける、選別する、管理するというようなことに、必ずそれをする人の意図がはいってくる、その意図の恣意性について、そのまま承諾しがたい、うなずくことはできないと言いたいのではないだろうか。それは、著者の私たちが見過ごしてしまいがちな、マイノリティーへの敬意と愛情とも読み取ることができる。
この本は、日本が明治期から、現代の音楽システム、音楽教育に急に塗り替えてしまったことから波及して、さまざまなところで行われていることについて、疑問や異議を唱える形で、紹介している。 著者は、「やらせ」「やらされ感」「強制」といったようなものに抵抗や違和感を唱えている。現在一般化しているお作法にも、どうしてそうでなければならないかと唱えられている。
幼稚園、バイエルでのまずはなんでもハ長調主義のような傾向、なぜ日本民族が今まで文化になかった西洋音階やリズムをスムーズにできないからといって、音痴やリズム感のないヤツというレッテルを貼られなければならないか、なぜ音楽の時間に一人ずつ人前で歌わなければならないか、音楽は楽しくなければならないのか、大きい声で歌わなければならないのか、ミスに対する許容性のなさから息苦しくなってきている面もあるのではないのか、などなど。
この書物は、音楽について書かれているというより、むしろ思想書ともいえよう。そもそもなぜ、学校にいかなければならないか・・ということまでも記されている。現在社会で浸透してしまった「ねばならない」と認識されていることにNo!をこれでもか、これでもか・・といった感じであらゆる側面から掘り出してきているのではないだろうか。
たぶん著者は、序列をつける、選別する、管理するというようなことに、必ずそれをする人の意図がはいってくる、その意図の恣意性について、そのまま承諾しがたい、うなずくことはできないと言いたいのではないだろうか。それは、著者の私たちが見過ごしてしまいがちな、マイノリティーへの敬意と愛情とも読み取ることができる。