The Experience of No-Self: A Contemplative Journey の感想
参照データ
タイトル | The Experience of No-Self: A Contemplative Journey |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | Bernadette Roberts |
販売元 | State University of New York Press |
JANコード | 9780791416945 |
カテゴリ | » 洋書 » Special Features » all foreign books |
購入者の感想
「神は心のなかに対象化できない」「それは主体も客体も超えたものである…」などといった
いわゆる主客合一の境地について、この本ではかなり詳細でわかりやすい解説がなされています
まず「一なること」を見ることから始まり、次に「絶対の虚無」への直面を経て、やがて自己の脱落により神の微笑みを見るに至る…
そのあたりのプロセスが活き活きと(?)伝わってくる名著ではないでしょうか
特に虚無の描写は凄かったです。読むだけで怖くなります
また、悟りにおける「自己意識の消滅」についても詳しく語ってくれています
覚醒者に起こる「自意識なしの思考」がどのようなものであるか、初めて理解できた気がしました
断片的になりますが、ピンときた所を引用します
『これ(自己の脱落)に適応するためには大変な努力が要求されます。自意識のもとになる反省の機能が止まっているので
心は今の瞬間に固定されたまま、「不可知のもの」への凝視から抜け出ることはできません』
『この(沈黙への)通路は絶望も狂気も超えたところにあるのです。そこには狂ったり絶望したりする何者もないのですから。
もし自己があればその場で狂ってしまうか、何とかして先へ行くのをやめて逃げ出そうとすることでしょう。
普通の意味での絶望とか憂慮とかいうものは、この不可知の重圧に比べれば、自己防衛の玩具のようなものにすぎません。
この重圧の方は防ぐ手立てもなく、第一防ごうとする者さえいないのです』
『何のわけもなく私の顔に微笑みが浮かび、その瞬間に私は「見た」のです。
そこで見たのは、微笑みそのもの、微笑みするもの、微笑みが向けられたもの、この3者が区別されずにただ一つになったものです(中略)
これこそ自己が無くなったあとに残っているものなのです。微笑みという姿で「不可知のもの」が示現されたと言ってもよいでしょう』
『窮極の実在は何か特異な体験ではなく、微笑みのようなごく単純なもの
自己が無くなった後に残っている「それ」自身であるとは誰も思わないでしょう。
いわゆる主客合一の境地について、この本ではかなり詳細でわかりやすい解説がなされています
まず「一なること」を見ることから始まり、次に「絶対の虚無」への直面を経て、やがて自己の脱落により神の微笑みを見るに至る…
そのあたりのプロセスが活き活きと(?)伝わってくる名著ではないでしょうか
特に虚無の描写は凄かったです。読むだけで怖くなります
また、悟りにおける「自己意識の消滅」についても詳しく語ってくれています
覚醒者に起こる「自意識なしの思考」がどのようなものであるか、初めて理解できた気がしました
断片的になりますが、ピンときた所を引用します
『これ(自己の脱落)に適応するためには大変な努力が要求されます。自意識のもとになる反省の機能が止まっているので
心は今の瞬間に固定されたまま、「不可知のもの」への凝視から抜け出ることはできません』
『この(沈黙への)通路は絶望も狂気も超えたところにあるのです。そこには狂ったり絶望したりする何者もないのですから。
もし自己があればその場で狂ってしまうか、何とかして先へ行くのをやめて逃げ出そうとすることでしょう。
普通の意味での絶望とか憂慮とかいうものは、この不可知の重圧に比べれば、自己防衛の玩具のようなものにすぎません。
この重圧の方は防ぐ手立てもなく、第一防ごうとする者さえいないのです』
『何のわけもなく私の顔に微笑みが浮かび、その瞬間に私は「見た」のです。
そこで見たのは、微笑みそのもの、微笑みするもの、微笑みが向けられたもの、この3者が区別されずにただ一つになったものです(中略)
これこそ自己が無くなったあとに残っているものなのです。微笑みという姿で「不可知のもの」が示現されたと言ってもよいでしょう』
『窮極の実在は何か特異な体験ではなく、微笑みのようなごく単純なもの
自己が無くなった後に残っている「それ」自身であるとは誰も思わないでしょう。