中曽根本人以外の人が書いた、初めての中曽根康弘の伝記
中曽根康弘。
大勲位。
この政治家の特徴は、
とにかく何冊も「自叙伝」を書いていることである。
普通、
自叙伝は書いたとしても一冊である。
「自分で書くと、
どうしても自分を飾ってしまうので書かない」という政治家さえいる。
ところが中曽根康弘は違う。
既に何冊も書いている。
私の記憶では1992年に出した『政治と人生』が最初だった。
次が1996年の『天地有情』。
1997年『リーダーの条件』、
1998年に『日本人にいっておきたいこと』。
2000年に『21世紀日本の国家戦略』。
2004年に『自省録 歴史法廷の被告として』を出して「もうこれで打ち止めか」と思っていたら2012年に『保守の遺言』、
そのほか対談集、
句集も入れると軽く20冊くらいになりそうな勢いである。
政治学者の御厨貴曰く「中曽根さんほど、
自叙伝を書いている政治家はいない。
しかも、
新しく自叙伝を書くたびに自分がどんどん偉くなっていく」と評していた。


中曽根康弘は幼少期より学業に秀で、
旧制高崎中学から旧制静岡高校へと進学し、
東京帝国大学法学部に進んでいる。
静岡高校は旧制第一高等学校に比べれば数段落ちるが、
それでも中曽根は高崎中学4年次に合格した四修組である。
帝大では近衛文麿のブレーンであった矢部貞治に師事し、
戦前は強大な権力を誇った官庁の中の官庁であった内務省に就職している。
内務省の席を温める間もなく、
彼は海軍経理学校に進んでいる。
高等文官試験受験と同時に中曽根は難関中の難関の海軍経理学校も受験し合格していたのである。
まさに絵に描いたようなエリート街道を当時の中曽根は驀進していたのだ。


戦後、
中曽根は政界に打って出る。
中曽根のようなエリートなら、
本来、
吉田茂のもとへと馳せ参じ、
佐藤栄作や池田勇人のように「吉田学校」の生徒として政界の第一歩をしるすべきであった。
ところが中曽根は初めから「反吉田」なのである。
中曽根が選んだのは反吉田の急先鋒、
河野一郎であった。
この吉田でなく河野を選んだあたりから、
常に反主流派の日陰街道を歩むがゆえに目立ちたがらないと生きていけない中曽根康弘の政治家人生が始まったのである。
中曽根康弘 - 「大統領的首相」の軌跡 (中公新書)

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