歌中の多様な〈われ〉を示してくれている

　ネット上で別の人生を生きる人も現れ始めた。
現実と一線を画した、
別の「自分探し」である。
万葉集の〈われ〉もその時代を生きた人の「自分探し」を歌の中に読み取ろうとする試みが著者が意図するものであるようだ。

　短歌は（私小説のように）一般に一人称詩と言われる。
万葉仮名によって文字化されると、
作者が歌に署名する場合が多くなったことに起因する。
後の勅撰集「古今集」に比較すると、
断然万葉集には〈われ〉という語が多い。
このことを序として、
本論が展開される。

　宴席歌の〈われ〉…公的な宴の歌から個人の家の歌まで１００例近い宴席で記録された歌がある。
作中に〈われ〉が出て来なくとも、
作者自身が宴席の注目をおびる。

　旅の歌の〈われ〉…旅人は旅中にも家・妹を思う歌、
行路死者の歌を詠んだ。
これらの歌には〈われ〉の語はなくなくとも、
表現する〈われ〉の個の喜びがある。

　挽歌の〈われ〉…挽歌には秀歌が多い。
親しい人に死なれると、
見慣れた山や木が新しい存在感になってくる。
死者という鏡に照らし出されて新しい一人の〈われ〉が立ってくる。

　相聞歌の〈われ〉…全身全霊で孤悲を生きる〈われ〉は歌うことによってその輪郭を明確にする。
日本の詩歌史において、
恋の歌は太い流れを形成していく。

　多様な〈われ〉という切り口で万葉集を見据えているところに著者の学究的意欲を感じる。

多様とは、
無限の追求がなされねばならないことで、
まだまだ言い足りないところは後書を待ちたい。