「神道」と「神祇道」の間に 
 著者は柳田国男の「神道論」にして現在の常識ともなった、
「神道は、
太古の昔から現在にいたるまで連綿と続く、
自然発生的な日本固有の民族的宗教である」とする理解を批判する。
そのポイントは、
神道の教義的な内容が基本的に民衆統治のための政治イデオロギーという性格を持ち、
一個の体系性を持った自立的な宗教であるとは認められないということにある。
神道の実態は儀礼の体系としての「神祇道」であるとされる。
そして、
「日本に固有の宗教」ということでいえば、
時と処に応じて仏道、
神祇道、
修験道、
陰陽道などを使い分け、
共に信仰の対象とする「融通無碍な多神教」にこそあり、
神祇道だけを特別扱いするのは間違いだという。

 確かに、
我々は神社や神棚を前にして、
その教義など意識することなく、
その祭神さえ無関心に参拝する。
これを果たして宗教と呼べるのかといえば、
戸惑うところである。
しかし、
宗教でないと言いきってしまうのも、
宗教の概念を狭く捉えているようですっきりしない。
古代に遡る神祇道がアニミズムにあることは著者も認めるのであるが、
儀礼の体系がその中心に「神」あるいは超越的なものを想定しない限り成立しない以上、
やはり神祇道も広い意味での宗教ではないだろうか。
それが胡散臭い鵺的な存在であっても。

 本書では、
時代と共に輩出した神道説の分析・評価に主眼を置く。
しかし、
各種の神道説は一般民衆にとってどれほど意味を持ったか疑問である。
元来その共同体に根差した魑魅魍魎ともいうべき祭神が天皇神話の神々に置き換えられていくのが、
「神道」の1300年の歴史であったことは、
本書の明らかにするところである。
それは重要な指摘であろう。
それが我々の神社の祭神に対する無関心の由来であり、
押し付けられた建前の祭神とは別にいわば言葉にならぬ魑魅魍魎を感じ取って畏怖するという態度が、
今も変わらぬ我々の神祇信仰の核心ではないだろうか。
著者の「神道論」批判は、
教義のイデオロギー性を重視するあまり、
神祇信仰そのものを過小評価する弊を犯しているように感じる。
「神道」のイデオロギー性は明らかであるが、
それも含めて日本人の宗教意識の底流に逃れ難くある鵺的な存在を直視すべきではないだろうか。
「神道」の虚像と実像 (講談社現代新書)

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