検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー) の感想
参照データ
タイトル | 検証 長篠合戦 (歴史文化ライブラリー) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 平山 優 |
販売元 | 吉川弘文館 |
JANコード | 9784642057820 |
カテゴリ | 歴史・地理 » 日本史 » 一般 » 日本史一般 |
購入者の感想
長篠合戦について検証した本。著者は武田信玄や勝頼をはじめとする戦国時代の著作を出している研究者で高校教諭。近年の研究結果を多く取り上げ、その真偽について慎重に検証を重ねている。基本としている歴史書とそれらに対する著者の見解は以下の通りで、適時それ以外の数多くの史料との突き合わせも行っている。
1.長篠合戦について書かれている主要な歴史書について
・太田牛一が長篠合戦に参加していたかは定かではないものの、「信長記」の信憑性は高く評価されており、長篠合戦の経過の基本は「信長記」によらざるをえない。
・大久保忠教の「三河物語」はおおむね信頼性が高い。
・信頼できないと言われていた小瀬甫庵の「甫庵信長記」の初版は、従来説より古く、慶長16〜17年(1611-12)であることがわかった。「甫庵信長記」にも信頼できる記述はある。太田牛一の「信長記」だって、当時から批判されている。
・小幡景憲らの「甲陽軍艦」の長篠合戦の記述が信頼できないと貶めていた最大の証拠である「長閑斎」宛ての書状は、実は、長坂釣閑斎に向けたものではなく、久能城主である今福長閑斎という人に宛てたものだと判明。「甲陽軍艦」にも信用できる記述はある。
・「当代記」の武田・織田・徳川の記述は検証の結果、信頼性が高いといえるようになった。
ところどころ、個人的な見解や推測が加わるのは仕方のないところだが、証拠となる史料を挙げながら真摯な姿勢で書かれている。かなり読みがいがある。全体としての著者の主張は以下の通りとなる。
2.著者の主張
・柵の構築や野陣・陣城づくりは、当時は一般的に行われていた。
・織田及び徳川側=「兵農分離」で、武田側=「未分離」という明確な差があるとは言いがたい。
・戦国時代の馬は小さいが屈強。特に東国では騎馬は実線で活躍していた。一部の人が唱えているような、騎馬武者はいちいち下馬して戦うのが原則という説は間違い。
・弓や鉄砲をかいくぐって騎馬を突撃させる戦法は他でも行われていて、手柄としての評価も高かった。
1.長篠合戦について書かれている主要な歴史書について
・太田牛一が長篠合戦に参加していたかは定かではないものの、「信長記」の信憑性は高く評価されており、長篠合戦の経過の基本は「信長記」によらざるをえない。
・大久保忠教の「三河物語」はおおむね信頼性が高い。
・信頼できないと言われていた小瀬甫庵の「甫庵信長記」の初版は、従来説より古く、慶長16〜17年(1611-12)であることがわかった。「甫庵信長記」にも信頼できる記述はある。太田牛一の「信長記」だって、当時から批判されている。
・小幡景憲らの「甲陽軍艦」の長篠合戦の記述が信頼できないと貶めていた最大の証拠である「長閑斎」宛ての書状は、実は、長坂釣閑斎に向けたものではなく、久能城主である今福長閑斎という人に宛てたものだと判明。「甲陽軍艦」にも信用できる記述はある。
・「当代記」の武田・織田・徳川の記述は検証の結果、信頼性が高いといえるようになった。
ところどころ、個人的な見解や推測が加わるのは仕方のないところだが、証拠となる史料を挙げながら真摯な姿勢で書かれている。かなり読みがいがある。全体としての著者の主張は以下の通りとなる。
2.著者の主張
・柵の構築や野陣・陣城づくりは、当時は一般的に行われていた。
・織田及び徳川側=「兵農分離」で、武田側=「未分離」という明確な差があるとは言いがたい。
・戦国時代の馬は小さいが屈強。特に東国では騎馬は実線で活躍していた。一部の人が唱えているような、騎馬武者はいちいち下馬して戦うのが原則という説は間違い。
・弓や鉄砲をかいくぐって騎馬を突撃させる戦法は他でも行われていて、手柄としての評価も高かった。
長篠の戦いを種々の資料で検証した力作。はたして織田・徳川軍圧勝の秘密は?古戦場から回収した種子島の銃弾(鉛)の成分分析や古文書からの興味深い事実、推察満載のユニークな内容だ。著者は高校教諭で文章も平易で読みやすい。