パンツァードラグーンツヴァイ の感想
参照データ
タイトル | パンツァードラグーンツヴァイ |
発売日 | 1996-03-22 |
販売元 | セガ |
機種 | SEGA SATURN |
JANコード | 4974365090494 |
カテゴリ | 機種別 » その他の機種 » セガサターン » ゲームソフト |
購入者の感想
発売当時、どうしても本作がプレイしたくてサターンと一緒に購入した。期待以上の面白さに、STGの最高傑作だとずっと思っていた。
そして時代が流れ、一端手放したものの、再び本体ともども入手してプレイした。そこで当時は知らなかったことを発見する。
このゲーム、ワイドテレビに対応している。つまり、16:9での表示でゲームが出来るのだ。
発売された当時は、まだ衛星放送も試験放送中で、16:9表示のテレビなどたいして普及していなかった20年前だ。
そして今、OPTION設定をWIDEにし、当時より大きくなった地デジのテレビの画面でプレイをした。
絶句とはこのことである。
当然、16:9に対応しているので、両サイドが切れることなく、画面いっぱいのサイズでゲームが出来る。
そして、4:3のときと違うのは、右と左の両サイドの見える範囲が広がって表示されるのである。
たったこれだけであるが、それにより、浮遊感や、ゲームのアクション性などが、4:3のときよりも格段に向上するのである。
そしてなにより、地デジテレビでフルスクリーンで表示できる迫力。
そこで知ったのだ。当時の自分は、このゲームの本気を遊んでいなかったのだと。
そして、本当に再びサターンと本作を入手したことを良かったと思ったのである。
本作を4:3の表示でしか遊んだことにない方は、是非引っ張りだしてでも16:9のフルサイズでプレイして欲しい。絶対に後悔はしません。
20年前の神ゲーは、いまだに健在だったのである。
そして時代が流れ、一端手放したものの、再び本体ともども入手してプレイした。そこで当時は知らなかったことを発見する。
このゲーム、ワイドテレビに対応している。つまり、16:9での表示でゲームが出来るのだ。
発売された当時は、まだ衛星放送も試験放送中で、16:9表示のテレビなどたいして普及していなかった20年前だ。
そして今、OPTION設定をWIDEにし、当時より大きくなった地デジのテレビの画面でプレイをした。
絶句とはこのことである。
当然、16:9に対応しているので、両サイドが切れることなく、画面いっぱいのサイズでゲームが出来る。
そして、4:3のときと違うのは、右と左の両サイドの見える範囲が広がって表示されるのである。
たったこれだけであるが、それにより、浮遊感や、ゲームのアクション性などが、4:3のときよりも格段に向上するのである。
そしてなにより、地デジテレビでフルスクリーンで表示できる迫力。
そこで知ったのだ。当時の自分は、このゲームの本気を遊んでいなかったのだと。
そして、本当に再びサターンと本作を入手したことを良かったと思ったのである。
本作を4:3の表示でしか遊んだことにない方は、是非引っ張りだしてでも16:9のフルサイズでプレイして欲しい。絶対に後悔はしません。
20年前の神ゲーは、いまだに健在だったのである。
これを書いている現在2008年。おそらくこのレビューは誰にも読んではもらえないだろう。
友人と酒を飲みながら馬鹿話に花を咲かせていたら、いつのまにか話題がゲームに移行し、やがてパンツァードラグーンの話になった。
どちらからともなくポツリとつぶやいた。
「……神と戦ってるような気がするよな」
これは「ツヴァイ」のラストバトルのことだ。美しい乳白色の海へと我々を導いた、巨大な、あまりに巨大なガーディアンドラゴンとの一騎打ち。初めてそのシーンに立たされた自分が感じたのは、しかし恐怖ではなかった。
うまく言えないが…… 「なんて場所に来てしまった……なんという偉大なモノと俺は対峙しているんだ!」という畏れ、畏怖そのものであった。
ここに至るまでの戦いがいかなるモノであったか、この戦いの後にどんな結末が待つのか…もはやそれはどうでもいい。今ここにいるのは畏るべき神と、自分と、そして自分に代って傷付いてきたかけがえのないもう一人の神だけだ。
鳴り響くのは敵をも自分をも祝福するような切々たる旋律(この曲はゲームの中で音楽の果たす役割の偉大さを存分に味あわせてくれる)。深海の生物を思わせる優美で無慈悲なガーディアンの攻撃。そして咆哮とともに現われる真の敵……
今見れば、所詮サターンのグラフィックと音源で創られた代物にすぎない。実写と見間違うばかりの贅沢なビジュアルに慣らされた若いゲーマーがこのゲームをプレイして、我々が経験したものと同質の感動を得る可能性は皆無だろう。当然のことだ。この文は、ただのオールドユーザーのボヤキと思ってくれればいい。
ただ最後に、これだけは言いたい。『ツヴァイ』のラストエピソードの荘厳な美しさを超えることは、結局『オルタ』を待ってすら成し得なかった……と。
友人と酒を飲みながら馬鹿話に花を咲かせていたら、いつのまにか話題がゲームに移行し、やがてパンツァードラグーンの話になった。
どちらからともなくポツリとつぶやいた。
「……神と戦ってるような気がするよな」
これは「ツヴァイ」のラストバトルのことだ。美しい乳白色の海へと我々を導いた、巨大な、あまりに巨大なガーディアンドラゴンとの一騎打ち。初めてそのシーンに立たされた自分が感じたのは、しかし恐怖ではなかった。
うまく言えないが…… 「なんて場所に来てしまった……なんという偉大なモノと俺は対峙しているんだ!」という畏れ、畏怖そのものであった。
ここに至るまでの戦いがいかなるモノであったか、この戦いの後にどんな結末が待つのか…もはやそれはどうでもいい。今ここにいるのは畏るべき神と、自分と、そして自分に代って傷付いてきたかけがえのないもう一人の神だけだ。
鳴り響くのは敵をも自分をも祝福するような切々たる旋律(この曲はゲームの中で音楽の果たす役割の偉大さを存分に味あわせてくれる)。深海の生物を思わせる優美で無慈悲なガーディアンの攻撃。そして咆哮とともに現われる真の敵……
今見れば、所詮サターンのグラフィックと音源で創られた代物にすぎない。実写と見間違うばかりの贅沢なビジュアルに慣らされた若いゲーマーがこのゲームをプレイして、我々が経験したものと同質の感動を得る可能性は皆無だろう。当然のことだ。この文は、ただのオールドユーザーのボヤキと思ってくれればいい。
ただ最後に、これだけは言いたい。『ツヴァイ』のラストエピソードの荘厳な美しさを超えることは、結局『オルタ』を待ってすら成し得なかった……と。