バートン・フィンク [DVD] の感想
参照データ
タイトル | バートン・フィンク [DVD] |
発売日 | 2012-05-09 |
監督 | ジョエル・コーエン |
出演 | ジョン・タトゥーロ |
販売元 | ジェネオン・ユニバーサル |
JANコード | 4988102058890 |
カテゴリ | DVD » ジャンル別 » 外国映画 » ドラマ |
購入者の感想
ハリウッドに招かれた劇作家が映画用のシナリオを書き始めるがやがて・・・というお話。
以下は内容に踏み込むので読みたい人は映画を観てからに。
なかなかシナリオの捗らない主人公が隣の気のいいおっさんと仲良くなったら実は殺人鬼で主人公も巻き添えになりそうになり、最終的にその殺人鬼に狙われるという展開はサスペンスとしてよく出来ていると思いますが、この映画が何の暗喩になっているのかいまいちよく判らなかったので、極私的な感想を述べると、映画のシナリオよりも実人生の方が不条理で不可解なことが多く、それは映画のようにうまく纏めることができない、あるいは現実自体が実は映画のようなものであり何でもありうる、という解釈をしてみましたがどうでしょうか・・・牽強付会か。映画の中にも様々な謎かけや伏線が散りばめられ、観る者全てを映画の中に誘い込み、謎解きを迫り煙に巻きます。
これはそういう風に深読みをするよりかは、創世記のハリウッドを舞台にした異色のサスペンス映画として虚心坦懐に楽しむ方がいいかも。最後のカタストロフィもなかなか凄い。撮影もコーエン兄弟らしさに満ちていて流石と思わせます。
カンヌで三冠をとったというのが少々解せない感じもしますが、それなりに楽しめる映画でした。
以下は内容に踏み込むので読みたい人は映画を観てからに。
なかなかシナリオの捗らない主人公が隣の気のいいおっさんと仲良くなったら実は殺人鬼で主人公も巻き添えになりそうになり、最終的にその殺人鬼に狙われるという展開はサスペンスとしてよく出来ていると思いますが、この映画が何の暗喩になっているのかいまいちよく判らなかったので、極私的な感想を述べると、映画のシナリオよりも実人生の方が不条理で不可解なことが多く、それは映画のようにうまく纏めることができない、あるいは現実自体が実は映画のようなものであり何でもありうる、という解釈をしてみましたがどうでしょうか・・・牽強付会か。映画の中にも様々な謎かけや伏線が散りばめられ、観る者全てを映画の中に誘い込み、謎解きを迫り煙に巻きます。
これはそういう風に深読みをするよりかは、創世記のハリウッドを舞台にした異色のサスペンス映画として虚心坦懐に楽しむ方がいいかも。最後のカタストロフィもなかなか凄い。撮影もコーエン兄弟らしさに満ちていて流石と思わせます。
カンヌで三冠をとったというのが少々解せない感じもしますが、それなりに楽しめる映画でした。
酒瓶を片手に、『オールド・ブラック・ジョー』を歌いながら千鳥足で遠ざかっていく、落ちぶれたシナリオライターのだらしなさと虚勢の哀しさがこころに沁みました。意識ある限り酒浸りの彼からも、人が生きていくことの難しさが、彼の息のように匂ってきました。
タトゥーロ演じるフィンクをはじめとして、次々と登場するキャラクターは、みな煮詰めたソースのようにあくが強く、ユーモラスで不気味です。そしてどことなく物悲しさを背負っています。
でもなぜか誰にもシンパシーを感じられないまま、彼らの強烈な演技に圧倒されつつ気持ちのよりどころを探していると、映画はその仮想世界の整合からも離れて終わってしまいます。重苦しく閉塞した映画のなかの現実からも放り出されてしまうところが、布石と着地点のある『ミラーズ・クロッシング』や『ファーゴ』とは異なっています。まるで、緊張感のある心理描写や、急展開への説得力などどうでもいいと言っているような無茶苦茶さが、この映画の特徴のひとつにもなっています。
その代わりに、その非現実性のなかで混濁していく正常と異常、プレッシャーと焦燥、訳のわからない蒸し暑さ、孤独のバリエーションのような人物の個性などが際立って強調され伝わってくるのは、そこにコーエン兄弟のねらいがあったからでしょうか。
まくしたてるプロデューサーの口の動き、ジョン・グッドマンの笑顔、耳だれ、べろりと剥がれる壁紙、タイプライターと白紙、野良犬のような刑事たちの下品さ、古いエレベーターと係員、追い越していく炎が無秩序にフラッシュバックして、脳裏に焼きついてしまいそうです。
混沌として残酷で救いもなく、気持の落とし所のない作品ですが、それだけに、あのきれいで不思議なエンディングに意味はないとわかっていても、すがってみたくなりました。
タトゥーロ演じるフィンクをはじめとして、次々と登場するキャラクターは、みな煮詰めたソースのようにあくが強く、ユーモラスで不気味です。そしてどことなく物悲しさを背負っています。
でもなぜか誰にもシンパシーを感じられないまま、彼らの強烈な演技に圧倒されつつ気持ちのよりどころを探していると、映画はその仮想世界の整合からも離れて終わってしまいます。重苦しく閉塞した映画のなかの現実からも放り出されてしまうところが、布石と着地点のある『ミラーズ・クロッシング』や『ファーゴ』とは異なっています。まるで、緊張感のある心理描写や、急展開への説得力などどうでもいいと言っているような無茶苦茶さが、この映画の特徴のひとつにもなっています。
その代わりに、その非現実性のなかで混濁していく正常と異常、プレッシャーと焦燥、訳のわからない蒸し暑さ、孤独のバリエーションのような人物の個性などが際立って強調され伝わってくるのは、そこにコーエン兄弟のねらいがあったからでしょうか。
まくしたてるプロデューサーの口の動き、ジョン・グッドマンの笑顔、耳だれ、べろりと剥がれる壁紙、タイプライターと白紙、野良犬のような刑事たちの下品さ、古いエレベーターと係員、追い越していく炎が無秩序にフラッシュバックして、脳裏に焼きついてしまいそうです。
混沌として残酷で救いもなく、気持の落とし所のない作品ですが、それだけに、あのきれいで不思議なエンディングに意味はないとわかっていても、すがってみたくなりました。