幸福論 (角川文庫) の感想

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参照データ

タイトル幸福論 (角川文庫)
発売日販売日未定
製作者寺山 修司
販売元角川書店
JANコード9784041315262
カテゴリ文学・評論 » エッセー・随筆 » 日本のエッセー・随筆 » 近現代の作品

購入者の感想

マッチ箱の中のロビンソン・クルーソー

『幸福という言葉を口にするのは、何か気恥ずかしいものがある。それは、青春前期の少年少女の用語であって、人生が始まってしまってからは、もはや口にするべきものではないと思われてきたからである。だが、トーマス・マンの「政治を軽蔑するものは、軽蔑に価する政治しか持つことが出来ない」というアフォリズムは、幸福の場合にもあてはまる。幸福の相場を下落させているのは、幸福自身ではなく、むしろ幸福ということばを軽蔑している私たち自身にほかならないのである。・・・(本文より)』

肉体

演技

出会い



『・・・ベッドの上で絶頂期に達したとき、女がなぜ「イク、イク」というのかについても考えてみる必要がある。「行く」という移動感覚はどこへか?永遠の境界線をこえて、相手の男の中へみずからの感情をすべりこませてやるというほどの意味なのか?それとも、めくるめく運動の反復によって、人力飛行機が浮上するときのように、「この世の外の場所」を目ざして、出立するということなのか?花園町のトリス・バーのセッちゃん、教えてください。「行く」というからには目的地があるはずだ。行くというからには、彼岸と此岸との区別があるはずでは、ありませんか?
大学時代に、たった一度だけ私と性交渉をもった恵子という女は、その性的昂奮のきわみに「逃げる、逃げる」と叫んで私をおどろかしたものであった。終わったあとですぐ私は、恵子に「逃げる、逃げる」というが、一体なにが逃げるんだ?と訊ねた。すると、恵子は「何だかよくわからないけど、得体のしれないヒトダマみたいなものが、行為の最中に二人の間を往復していたの。クライマックスになる寸前に、それが二人のあいだから外れてスーッと逃げ出していった」−というのであった。「もしかしたら、あれが幸福ってものなんじゃないのかしら?」・・・(本文より)』

(*この本は前に持っていたのですが、失くしてしまったようで、この部分の内容を確かめたいがためだけに買い直しました。)

偶然

歴史

おさらばの周辺部

こういったタイトルの、つまり、実用性が重んじられた「ような」小説を読む、という行為が好きでなく、「幸福論」はラッセル以来だった。

僕はこの本を読んで、「偶然性を楽しむ心」と、「自分の行為、自分の未来を捉える想像力」の素晴らしさを、自分の思想や体験に照らして、感じることができた。
そこには、自分の内なる欲望に逆らわずに真実を語る「健やかさ」と、書物が伝える思想や歴史など外なる何事にも批判を忘れず、主体的に思想や行動を構築しようとする「逞しさ」がある。
今回改めて自分の思考を捉え、そのうえで、歴史や思想、そして運命について、「何か予め用意されたものがあり、それを受け入れる」ということのつまらなさ、「歴史的事実、優れた思想家の論考、運命のように思える出会い、それらを想像力によって捉え直す」ことの大切さについて、改めて認識できたことには大きな意味があった。
つまり、「実用」的だった。
引用されているヘーゲルやバリュブスや流行歌には馴染みがなかったが、僕のボキャブラリーや想像力の欠如を以てしても、文章から大きな動力を感じ、とても楽しかった。
彼の論がこんな若い僕にとっても、刺激的で清涼に感じられるのは、彼が一貫して「肉体」や「知らぬふり」や「運命」や「地理と歴史」など、生の本質に関わることを偽りなく話すからだろう。

また、雄弁な語り口で論を走らせるにもかかわらず、二の句で見事に文が締めくくりられる、という具合に、ふと、我々はそこに取り残されてしまう。
皆まで語られず、読者がヒラリと交わされるのは、いかにも詩的だと思う。

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