バルトーク:管弦楽のための協奏曲 の感想
参照データ
タイトル | バルトーク:管弦楽のための協奏曲 |
発売日 | 2004-12-22 |
アーティスト | ライナー(フリッツ) |
販売元 | BMG JAPAN |
JANコード | 4988017628799 |
Disc 1 : | 管弦楽のための協奏曲 Sz.116 I.Introduzione : Andante non troppo ; Allegro vivace 管弦楽のための協奏曲 Sz.116 II.Giuoco delle coppie : Allegretto scherzando 管弦楽のための協奏曲 Sz.116 III.Elegia : Andante non troppo 管弦楽のための協奏曲 Sz.116 IV.Intermezzo interrotto : Allegretto 管弦楽のための協奏曲 Sz.116 V.Finale : Pesante ; Presto 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 I.Andante tranquillo 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 II.Allegro 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 III.Adagio 弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 Sz.106 IV.Allegro molto ハンガリー・スケッチ Sz.97 I.村での夕べ ハンガリー・スケッチ Sz.97 II.熊踊り ハンガリー・スケッチ Sz.97 III.メロディ ハンガリー・スケッチ Sz.97 IV.ほろ酔い加減 ハンガリー・スケッチ Sz.97 V.豚飼いの踊り |
カテゴリ | ミュージック » ジャンル別 » クラシック » 交響曲・管弦楽曲・協奏曲 |
購入者の感想
F.ライナー*1指揮/シカゴ交響楽団に依るオケコン*2の録音は未だに色褪せる事無
き最高の名演です。
旨そうなメニュー,では無く,US最初期盤,XRCD盤,Hybrid SACD盤の音
盤3種*3を指して称してみました。
個人的に最初期盤が一番お気に入りです。比べてXRCD盤は低音が絞まってややス
ッキリ気味で,SACD盤(CD層音)は綺麗で初期盤より僅か緩めの音です。
マスタリング技術は日日向上しますが,テープの物理的も日日劣化するでしょうから
難しい処です。
通称「オケコン」は,近代と現代の音楽境界に在る作品だと思います。
小説家・太宰治*4の作品に「女生徒」と云う短編・小品が在ります。女生徒の一人称
詰まり「私」調で書かれて居て,コトバの女装・コスプレの先例的紀貫之の土佐日記
*5同様緻密な描写文体です。然し乍ら其れは太宰自身の一次創作では無く,所謂ファ
ン読者から送られた日記を基に推敲構成された二次創作です。
近代以前,中世の秋より個人・ペルソナの再発現が在ったけれど,日記や私小説的に
自身の内面のモロの発露・暴露迄は中中一般化しなかったのです。其れが現代では,
素直に告白・独白する様に成ったと云うのが違いです。
先の大戦中か戦後の気づくと始まって居た”現代音楽”ですが,其れは技法やフォル
ムの新規開発から始まります。詰まり,例えば「月ロケット」と云っても行き成りロ
ケットに成るのでは無く,要素・素材(ハード)や手法(ソフト)の個個技術実験か
ら始まるものです。無調や12音階,セリー*6は其う云う類のものだったと思います
。
初期の現代音楽理解に置いては,其の技法やフォルムの理解が不可欠とされました。
然し乍ら,例えばコリリアーノの交響曲第1番*7の様にLGBT友人達のエイズ死へ
の思い出に書かれた音楽,となると全く私的で特殊解で在り,当人の気持ちや内面に
寄り添う事が作品理解に求められて来ます。現代音楽に於いて開発された”技術”は
微妙で繊細な人間の心の襞を表現する為に必要だったのです。
き最高の名演です。
旨そうなメニュー,では無く,US最初期盤,XRCD盤,Hybrid SACD盤の音
盤3種*3を指して称してみました。
個人的に最初期盤が一番お気に入りです。比べてXRCD盤は低音が絞まってややス
ッキリ気味で,SACD盤(CD層音)は綺麗で初期盤より僅か緩めの音です。
マスタリング技術は日日向上しますが,テープの物理的も日日劣化するでしょうから
難しい処です。
通称「オケコン」は,近代と現代の音楽境界に在る作品だと思います。
小説家・太宰治*4の作品に「女生徒」と云う短編・小品が在ります。女生徒の一人称
詰まり「私」調で書かれて居て,コトバの女装・コスプレの先例的紀貫之の土佐日記
*5同様緻密な描写文体です。然し乍ら其れは太宰自身の一次創作では無く,所謂ファ
ン読者から送られた日記を基に推敲構成された二次創作です。
近代以前,中世の秋より個人・ペルソナの再発現が在ったけれど,日記や私小説的に
自身の内面のモロの発露・暴露迄は中中一般化しなかったのです。其れが現代では,
素直に告白・独白する様に成ったと云うのが違いです。
先の大戦中か戦後の気づくと始まって居た”現代音楽”ですが,其れは技法やフォル
ムの新規開発から始まります。詰まり,例えば「月ロケット」と云っても行き成りロ
ケットに成るのでは無く,要素・素材(ハード)や手法(ソフト)の個個技術実験か
ら始まるものです。無調や12音階,セリー*6は其う云う類のものだったと思います
。
初期の現代音楽理解に置いては,其の技法やフォルムの理解が不可欠とされました。
然し乍ら,例えばコリリアーノの交響曲第1番*7の様にLGBT友人達のエイズ死へ
の思い出に書かれた音楽,となると全く私的で特殊解で在り,当人の気持ちや内面に
寄り添う事が作品理解に求められて来ます。現代音楽に於いて開発された”技術”は
微妙で繊細な人間の心の襞を表現する為に必要だったのです。