文庫 他人を支配したがる人たち (草思社文庫) の感想
参照データ
タイトル | 文庫 他人を支配したがる人たち (草思社文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | ジョージ サイモン |
販売元 | 草思社 |
JANコード | 9784794220837 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 心理学 » 心理学入門 |
購入者の感想
著者が仰るように、我々は普段、相手の善意を信じているところがある。相手が自分と同じような人間だと仮定している。相手が自分に対して感情的な態度を示せば、自分がそういう状態になった時のことを思い出し、相手の不満の原因を考えたり、自分の相手に対する言動を反省したりする。何とか良い関係を取り戻したいと思うのである。それが普通の人間関係である。
しかし。著者によれば、潜在的攻撃性パーソナリティーの人々には羞恥心はおろか良心もなく、ただただ相手を支配することだけを考えているという。相手のことを考えずに、とにかく思い通りに操ることに大きな喜びを感じる人々だというのである。しかも、それがわからないように、「羊の皮」を被っている(本書の原題は”In Sheep’s Clothing"である)。その上、手口も狡猾である。脅し、泣き落としは勿論、自分が被害者のように振舞ったり、相手に罪悪感を感じさせようとしたり、巧妙な手を使って相手の心を操ろうとする(よく考えると、これは我国のヤクザと同じ手口ではなかろうか)。別名、「マニピュレーター」。お気の毒だが、本書の中でマニピュレーターの犠牲になっているのは、だいがい真面目で善良な人たちである。
人間としてあり得ない方々だが、困ったことに、そうしたパーソナリティに障害を持った人々が増えているという。フロイトの時代は、良心に照らして自分の言動に罪悪感や不安を感じる「神経症」の人が多かったそうだ。善良すぎるが故に自分を抑圧し、精神に不調をきたすのである。著者によれば、全ての人のパーソナリティは、一方の極に「神経症」を、もう一方の極に「パーソナリティ障害」を置いた直線上のどこかに存在するという。自由が尊重され、なんでも許される現代では、自分の欲求を抑制しない(できない)人間、したがって直線上の「パーソナリティ障害」に寄っている人間が増えているのである。おのれの利益だけを追求するのを是とする風潮が支配的なこの時代、確かに潜在的に攻撃性の高いパーソナリティでないと生きにくいことは事実だ。ということは、この風潮が変わらない限り、今後もこうしたパーソナリティの人間は増えこそすれ減る見通しはないことになる。誠に困ったことである。
しかし。著者によれば、潜在的攻撃性パーソナリティーの人々には羞恥心はおろか良心もなく、ただただ相手を支配することだけを考えているという。相手のことを考えずに、とにかく思い通りに操ることに大きな喜びを感じる人々だというのである。しかも、それがわからないように、「羊の皮」を被っている(本書の原題は”In Sheep’s Clothing"である)。その上、手口も狡猾である。脅し、泣き落としは勿論、自分が被害者のように振舞ったり、相手に罪悪感を感じさせようとしたり、巧妙な手を使って相手の心を操ろうとする(よく考えると、これは我国のヤクザと同じ手口ではなかろうか)。別名、「マニピュレーター」。お気の毒だが、本書の中でマニピュレーターの犠牲になっているのは、だいがい真面目で善良な人たちである。
人間としてあり得ない方々だが、困ったことに、そうしたパーソナリティに障害を持った人々が増えているという。フロイトの時代は、良心に照らして自分の言動に罪悪感や不安を感じる「神経症」の人が多かったそうだ。善良すぎるが故に自分を抑圧し、精神に不調をきたすのである。著者によれば、全ての人のパーソナリティは、一方の極に「神経症」を、もう一方の極に「パーソナリティ障害」を置いた直線上のどこかに存在するという。自由が尊重され、なんでも許される現代では、自分の欲求を抑制しない(できない)人間、したがって直線上の「パーソナリティ障害」に寄っている人間が増えているのである。おのれの利益だけを追求するのを是とする風潮が支配的なこの時代、確かに潜在的に攻撃性の高いパーソナリティでないと生きにくいことは事実だ。ということは、この風潮が変わらない限り、今後もこうしたパーソナリティの人間は増えこそすれ減る見通しはないことになる。誠に困ったことである。