明治 大正凸凹地図 東京散歩 の感想

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参照データ

タイトル明治 大正凸凹地図 東京散歩
発売日販売日未定
製作者内田 宗治
販売元実業之日本社
JANコード9784408111896
カテゴリジャンル別 » ノンフィクション » 歴史・地理・旅行記 » 紀行文・旅行記

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『明治 大正 凹凸地図 東京散歩』(内田宗治著、実業之日本社)は、東京の中心部の明治16年、17年、大正5年の地図を加工して地形の凹凸を立体的に表現した風変わりな地図帳です。

「東京の中心部、山手線の内側からその西にかけて、標高こそ十数メートルといったレベルだが、凹凸地形が複雑に展開している。江戸時代でも近年でも、丘の上には大きな屋敷が緑に囲まれて門を構え、谷底には庶民が身を寄せ合うようにして暮らしていた。・・・渋谷や池袋周辺などは当時の郊外で、田んぼや畑も広がっていた」。

新宿の「池を埋めて女学校を建てた歌舞伎町」は、このように説明されています。「明治30年代前半、尾張屋銀行頭取の峯島喜代が大村伯爵の土地を購入し、木々を伐採し土で池を埋めた。ここは尾張屋の原と呼ばれるようになった。峯島喜代は女性の社会進出を促す教育のためにと尾張屋の原を提供して、大正9年、同地に府立第五高等女学校が開校する。同校は太平洋戦争の戦災を受け、中野区富士見町(現弥生町5丁目)に移り、現在の都立富士高校となった。戦後この土地は、地元町会と都が主導して区画整理を行い、庶民的な娯楽センターを目指す。歌舞伎劇場の誘致も計画にあり歌舞伎町と命名された。歌舞伎劇場誘致はままならなかったものの、昭和30年代頃から急速に発展を遂げ一大歓楽街となった。歌舞伎町のように、これだけ利用のされかたが有為転変した地も珍しい」。何と、我が母校・都立富士高の歴史が語られているではありませんか。

「広大な焼け野原となった上野の森と本郷

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