「空」の発見――ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理 の感想
参照データ
タイトル | 「空」の発見――ブッダと龍樹の仏教対話術を支える論理 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 石飛道子 |
販売元 | サンガ |
JANコード | 9784905425960 |
カテゴリ | 人文・思想 » 宗教 » 仏教 » 仏教入門 |
購入者の感想
日本を代表するナーガールジュナの研究者である、石飛道子氏の最新刊。
石飛氏の前著『龍樹』は、ナーガールジュナの思想に対する極めて明晰かつ、平易な入門書として、ロングセラーとなっている。
その石飛氏の新作である本書のテーマはずばり、ナーガールジュナの思想の核心である「空」について。
まず、目を惹かれるのはアルボムッレ・スマナサーラ長老の著書『般若心経は間違い?』に対する重厚な反論を試みた論文「般若心経は間違いでない?」。
「般若心経」は日本の天台宗・真言宗・禅宗といった各宗派で重視される経典のため、スマナサーラ長老の著書が発表された際には、日本仏教界から氏の著作に対する反発には大きなものがあった。
その後、日本仏教界からどのような反論が出てくるのだろうかと、ある意味楽しみに待っていたが、管見ではここまでまとまった批判論文は評者は目にしたことが無い。
また、以前から、「般若心経」の注釈書は、ダライ・ラマによるものであれ、ティク・ナット・ハンによるものであれ、どうしてこんなにもその注釈者によって内容が異なるのかという疑問を持っていたが、その疑問はこの石飛氏の論文を読むことによって氷解した。
(ちなみに、評者が一番得心のいった「般若心経」の提唱(解説)は、『井上義衍語録』に収録された、井上義衍老師によるものである)
そして、本書の一番の見どころは、もっぱら大乗仏教の教えとして重視されてきた「空」の教えを、石飛氏がゴータマ・ブッダの法(ダルマ)の「語り口」に見出すことによって、ゴータマ・ブッダの教えとナーガールジュナの教えが違和感なくシームレスに接続される所であろう。
これは、石飛氏が単にナーガールジュナの専門家であるということを超えて、パーリ三蔵経典の隅々まで精通していることを意味する。
本書を読むのに専門的な知識は一切必要なく、平易なエッセイのように読めるが、繰り返し読むことによって、読者が石飛氏の学識に感銘を受けることは間違いないであろう。
石飛氏の前著『龍樹』は、ナーガールジュナの思想に対する極めて明晰かつ、平易な入門書として、ロングセラーとなっている。
その石飛氏の新作である本書のテーマはずばり、ナーガールジュナの思想の核心である「空」について。
まず、目を惹かれるのはアルボムッレ・スマナサーラ長老の著書『般若心経は間違い?』に対する重厚な反論を試みた論文「般若心経は間違いでない?」。
「般若心経」は日本の天台宗・真言宗・禅宗といった各宗派で重視される経典のため、スマナサーラ長老の著書が発表された際には、日本仏教界から氏の著作に対する反発には大きなものがあった。
その後、日本仏教界からどのような反論が出てくるのだろうかと、ある意味楽しみに待っていたが、管見ではここまでまとまった批判論文は評者は目にしたことが無い。
また、以前から、「般若心経」の注釈書は、ダライ・ラマによるものであれ、ティク・ナット・ハンによるものであれ、どうしてこんなにもその注釈者によって内容が異なるのかという疑問を持っていたが、その疑問はこの石飛氏の論文を読むことによって氷解した。
(ちなみに、評者が一番得心のいった「般若心経」の提唱(解説)は、『井上義衍語録』に収録された、井上義衍老師によるものである)
そして、本書の一番の見どころは、もっぱら大乗仏教の教えとして重視されてきた「空」の教えを、石飛氏がゴータマ・ブッダの法(ダルマ)の「語り口」に見出すことによって、ゴータマ・ブッダの教えとナーガールジュナの教えが違和感なくシームレスに接続される所であろう。
これは、石飛氏が単にナーガールジュナの専門家であるということを超えて、パーリ三蔵経典の隅々まで精通していることを意味する。
本書を読むのに専門的な知識は一切必要なく、平易なエッセイのように読めるが、繰り返し読むことによって、読者が石飛氏の学識に感銘を受けることは間違いないであろう。