橋爪大三郎のマルクス講義 (飢餓陣営叢書) の感想
参照データ
タイトル | 橋爪大三郎のマルクス講義 (飢餓陣営叢書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 橋爪大三郎 |
販売元 | 言視舎 |
JANコード | 9784905369790 |
カテゴリ | ジャンル別 » ビジネス・経済 » 経済学・経済事情 » 経済思想・経済学説 |
購入者の感想
マルクスの解釈については、細かいことに拘泥しないで、「史観」「ユダヤ人問題(人種と宗教)」「資本論」に分けて簡潔で明快に解説。そのところどころに、著者自身の社会についての見識が述べられ、それに照らして、マルクスを評価するというもの。勿論、総じてマルクスの思想の現代的な意義を見事に説明しているが、その限界を指摘している点は、より根本的で、やはり、マルクスはもうちょっと。。と思ってしまう読者が居ても仕方がないと思う。森嶋通夫のマルクス分析を下敷きにしていると思うのだが、マルクスの体系性と枠組みの大きさ、歴史観などと相まって、唯一「社会科学」全領域をカバーする大きさについては、本書はしっかり描いているし評価のポイントになっていると思う。それと、往々、見られる、マルクス批判として、現実と乖離したマルクスの理論に対する非難についても触れているのだが、これは、どちらかというと、理論の一貫性を示し分かりやすくするために、単純化した結果で、同じことはニュートン物理学にもあることだ、として、節度と配慮のある見識も示している。なるほどそういうものかと、うっかりしたことは云ってはいけないものだと自戒させられる。でも、終盤触れられるように、投入産出関係をあまりに単純化しして線型にとらえ過ぎていること、技術革新の問題が考慮されていないこと、などは、「資本論」の大きな限界で、とてもこのままではどうにもならないことが示されている。さらに、著者とマルクスの決定的な違いで、私も著者に同意するので、マルクスの限界だと思うのは、資本主義とは、個人と他者がお互いに要求を満たしあうために創意工夫してそれを実現していく世界なのだという、こういう前向きな話がマルクスに全然なかったことだと思う。労働を単純労働に局限し、知的労働、マネージメントなど全く考慮の外に置いているのは、いくら19世紀の半ばとはいえ、少し見識の足りなかったことはないだろうか。結果、階級対立として社会を描いてしまっていることは狭窄的な視野だったと思えてくる。むしろ、資本主義の世界は、世界の平準化の過程であって、その経過として、開発途上国に追い上げられ、産業が空洞化したり、失業が増えたりするが、結果、国家間の差異がなくなり平準化していく。。本書はどちらかといえば、著者の現代社会論でもあって、そこがより面白かった。難しい話を優しく語るという流行は、