フラジャイルな闘い 日本の行方 (連塾 方法日本) の感想

アマゾンで購入する

参照データ

タイトルフラジャイルな闘い 日本の行方 (連塾 方法日本)
発売日販売日未定
製作者松岡 正剛
販売元春秋社
JANコード9784393333020
カテゴリジャンル別 » 人文・思想 » 哲学・思想 » 哲学

購入者の感想

明治になって日本人は民族としてのナショナル・アイデンティティを考え出した。神国日本にするために廃仏毀釈し国家神道が確立された。しかし、欧米列強が千年にわたって組み立ててきた、キリスト教の信仰体系をロジックとしたそれなりのヒューマニズムというイデオロギーに対し、「国體」「五族協和」「八紘一宇」というイデオロギーはあまりに急ごしらえだったのではないか。
敗戦以降、われわれは「日本という方法」によって、この国の来し方行く末をつなげていくことを怠った。ウツとウツツのあいだをほったらかしにして、ウツロイの説明を責任放棄してしまった。

日本においては、主題によって価値が生まれるより、、方法が価値に転じていったということの方が多い。すばらしい方法的価値というものがあるなら、それはそのままグローバルなのだ。ブルーチーズやドイツビール、東南アジアのバティックやガムラン音楽、アメリカのブルージーンズやハリウッド映画などがまさにそれだ。日本はもっと「あいだの編集」を徹底すべきだ。問題はどのようなコンセプトで編集するかということだ。

日本における「もの」とは「物」であり「霊」である。これが日本のアニメーションの力だった。それが染み渡っていく。梳く、鋤く、透く、透き通る、好きになる・・それが「数寄」だ。アイデンティティという言葉では日本は説明できない。まだ主体的すぎるのだ。法然、世阿弥、利休、北斎はエキセントリックで特異なことをやった。個性が開花したのではなく、パティキュラーことをアニメートしたのだ。

万葉時代の「寄物陳思」というのは類感でありそこから「見立て」が出てくる。また、日本は和光同塵、本地垂迹、公武合体といったように異種配合を常にやってきた。和魂漢才のように日本は最初からグローバルとローカルを交ぜたグローカルなものをつくろうとしていたふしがある。表裏一体、間柄は、いわばどっちつかずの思想だ。ちゃらんぽらんから間柄が登場してくる。それが「人間」や「世間」という言葉になっているのだ。西洋と異なり、パーツやイコンがそのままふわりと拡張して物語になることが多く、それがまた構図やシステムにさえなっている。

あなたの感想と評価

コメント欄

関連商品の価格と中古

フラジャイルな闘い 日本の行方 (連塾 方法日本)

アマゾンで購入する
春秋社から発売された松岡 正剛のフラジャイルな闘い 日本の行方 (連塾 方法日本)(JAN:9784393333020)の感想と評価
2017 - copyright© みんこみゅ - アマゾン商品の感想と評価 all rights reserved.