サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 の感想
参照データ
タイトル | サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 |
発売日 | 2016-09-16 |
製作者 | ユヴァル・ノア・ハラリ |
販売元 | 河出書房新社 |
JANコード | 登録されていません |
カテゴリ | 本 » ジャンル別 » 歴史・地理 » 歴史学 |
購入者の感想
アメトークを見て購入。
内容は面白いので買って損しません。
ただ、私が知らないだけでかなり有名な本なのか、内容を関西の深夜番組でやっていたを先に見てました。
おかげで分かり易かったけど、少し新鮮味が減って残念
内容は面白いので買って損しません。
ただ、私が知らないだけでかなり有名な本なのか、内容を関西の深夜番組でやっていたを先に見てました。
おかげで分かり易かったけど、少し新鮮味が減って残念
アメトークがキッカケで読み始めました。科学的な生物史かと思っていましたが、どちらかというと文明・文化史ですね。人間とは何か?という問いに対して解説した書籍と思います。
この感覚、以前に体験したなぁと思いました。リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んだ時と似た感覚です。文明や文化とは、ヒトだけが持つ特異な遺伝子なのだと考え至りました。
この感覚、以前に体験したなぁと思いました。リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」を読んだ時と似た感覚です。文明や文化とは、ヒトだけが持つ特異な遺伝子なのだと考え至りました。
著者は1976年生まれのイスラエル人歴史学者。ホモサピエンスの数万年に及ぶ文明構築の軌跡を描く壮大な歴史書です。
この上巻でまずなんといっても目を引くのが、ホモサピエンスとネアンデルタール人との違いを読みとくキーワードが「虚構を信じる力」であるとする点です。ハリウッド映画やアメリカのTVドラマなどでは、相手をネアンデルタール人呼ばわりするのは侮辱の表現とされていて、つまりはホモサピエンスのほうがネアンデルタール人よりも知性があるということが当然の前提とされてきました。ところがこの書によれば、ネアンデルタール人は10万年ほど前には中東レヴァント地方でホモサピエンスの進出を阻むほどの力を持っていたというのです。では何が後にホモサピエンスの優勢を生んだのかというと、「虚構を信じる力」だと著者は説きます。
伝説や神話など全く存在しないものを集団で想像し信じることができたためにホモサピエンスは強固な絆をもった集団を形成することができたというわけです。ひとつの神話や宗教のもとに団結したときの協力関係がいかに大きな力を生み、人類史を前へ前へと推し進めてきたかを思うと、この<信の力>が何か素晴らしいものであるようにまずは思えてくるでしょう。
ところが、ホモサピエンスには虚構を信じる力があるという視座を手に入れた途端、読者はみずからの周囲が虚構に満ち溢れていることが鮮明に見えてきてしまうのです。著者は読者の目を洗う事例を畳みかけるように次々と挙げていきます。様々な異民族との接触の結果原型をとどめないほどの大きな変化を遂げた果てでしかないはずの<民族的伝統>、食べることなどできない紙や金属でできた<貨幣の経済的価値>、<男性は女性よりも優れている>とする男尊女卑思想、<黒人は白人よりも劣っている>とする人種的偏見やインドのカースト制等々、物理的・生物学的には何の根拠もないこうした虚構すら信じてしまえる力をもった私たちホモサピエンスの<不都合な真実>が突き付けられるのです。集合的な力を増加させたホモサピエンスは、その一方で固体の苦しみを増やしてきたとする著者の指摘を読むにつけ、<信の力>が<呪われた才能>以外の何物でもないと暗澹たる気分にとらわれます。
この上巻でまずなんといっても目を引くのが、ホモサピエンスとネアンデルタール人との違いを読みとくキーワードが「虚構を信じる力」であるとする点です。ハリウッド映画やアメリカのTVドラマなどでは、相手をネアンデルタール人呼ばわりするのは侮辱の表現とされていて、つまりはホモサピエンスのほうがネアンデルタール人よりも知性があるということが当然の前提とされてきました。ところがこの書によれば、ネアンデルタール人は10万年ほど前には中東レヴァント地方でホモサピエンスの進出を阻むほどの力を持っていたというのです。では何が後にホモサピエンスの優勢を生んだのかというと、「虚構を信じる力」だと著者は説きます。
伝説や神話など全く存在しないものを集団で想像し信じることができたためにホモサピエンスは強固な絆をもった集団を形成することができたというわけです。ひとつの神話や宗教のもとに団結したときの協力関係がいかに大きな力を生み、人類史を前へ前へと推し進めてきたかを思うと、この<信の力>が何か素晴らしいものであるようにまずは思えてくるでしょう。
ところが、ホモサピエンスには虚構を信じる力があるという視座を手に入れた途端、読者はみずからの周囲が虚構に満ち溢れていることが鮮明に見えてきてしまうのです。著者は読者の目を洗う事例を畳みかけるように次々と挙げていきます。様々な異民族との接触の結果原型をとどめないほどの大きな変化を遂げた果てでしかないはずの<民族的伝統>、食べることなどできない紙や金属でできた<貨幣の経済的価値>、<男性は女性よりも優れている>とする男尊女卑思想、<黒人は白人よりも劣っている>とする人種的偏見やインドのカースト制等々、物理的・生物学的には何の根拠もないこうした虚構すら信じてしまえる力をもった私たちホモサピエンスの<不都合な真実>が突き付けられるのです。集合的な力を増加させたホモサピエンスは、その一方で固体の苦しみを増やしてきたとする著者の指摘を読むにつけ、<信の力>が<呪われた才能>以外の何物でもないと暗澹たる気分にとらわれます。