教養としての聖書 (光文社新書) の感想

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参照データ

タイトル教養としての聖書 (光文社新書)
発売日2015-03-17
製作者橋爪 大三郎
販売元光文社
JANコード9784334038465
カテゴリ人文・思想 » 宗教 » キリスト教・ユダヤ教 » キリスト教一般

購入者の感想

「聖書を読めば、欧米社会の人びとの頭の中をMRIでのぞいてみたような感覚がえられます。」という帯宣伝は、確かにそうなのだろう。
しかし、本書自体は聖書の概要でしかないので、さすがにそこまで深い読書体験を得ることはない。
聖書という海に飛び込む前の要約版ガイドブックくらいの位置づけである。

概説にあたっては、旧約聖書における「創世記」、「出エジプト記」、「申命記」、
新約聖書における「マルコ福音書」、「ローマ人への手紙」、「ヨハネ黙示録」の6つの書物が精選されている。
どれも信仰の中核的な思想を含むものとのことで、取っ掛かりにはお勧めのようである。

ただし、全編を通じて著者の筆運びは淡々としており、情熱のほとばしりのようなものは皆無である。
むしろ、キリスト教の暗部や矛盾を面白がるようなところすらあり、人によっては小ばかにされたような感じを受けるかもしれない。
しかし、それはそれで聖書を読む際の引っ掛かりポイントを指示している側面もあるので、
すとんと落ちない個所が明示されるのは、初学者にとっては実にありがたい話である。

宗教的真実は理知的な側面で割り切れるものではなく、ひとまず信じるという側面からアプローチする必要があることは、
知的好奇心はあるが信仰心がない者にとっては隘路である。

それにしても旧約聖書はまだ理解できる。
やたらと気の短い神様が容赦なく他民族のせん滅を奨励したり、異教徒を石で殴り殺すことを命じたりするのには辟易するが、
それでもその論理自体はわからなくもない。
逆に言えば、その論理を知った異民族としては、ユダヤ人に強い警戒心を持つことは当たり前の話だろう。

が、しかし、新約聖書になると、論理自体が信じる営みに圧倒されていて、仮初にもその思想を受け入れることができなかった。
それはどんな新興宗教よりも、カルト臭が凄まじいのだが、歴史を振り返れば、キリスト教が古今東西の叡智を魅了してきたのも事実であり、
まさにその点が知的好奇心を大いに刺激するのである。

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