Call If You Need Me: The Uncollected Fiction and Other Prose (Vintage Contemporaries) の感想
参照データ
タイトル | Call If You Need Me: The Uncollected Fiction and Other Prose (Vintage Contemporaries) |
発売日 | 2015-05-25 |
製作者 | Raymond Carver |
販売元 | Vintage |
JANコード | 登録されていません |
カテゴリ | 洋書 » Subjects » Literature & Fiction » Literary |
Call If You Need Me: The Uncollected Fiction and Other Prose (Vintage Contemporaries) とは
好きな作家の作品なら(作品と呼べないような切れ端でも)、そのすべてを残らず見ておきたいと、誰しも思うのではないだろうか。「価値というものは総体からのみ生じるものではない。それは細かいものごとからも生じるのだ」。(テス・ギャラガーの序文)
カーヴァーが50歳で亡くなってから十余年、数編の遺稿が発見された。訳したのは、作家村上春樹。日本におけるカーヴァーの紹介者である。その作品世界を愛した彼自身こそ、誰よりも先に、それらの遺稿を手にとりたかったに違いない。
収録作品のうち、「薪割り」「夢」「破壊者たち」は、カーヴァーの生前に発表されたいくつかの作品と似通っている。たとえば、「舞台は小さな田舎町、アルコール中毒で中年の主人公、奥さんとはうまくいっていない」とくれば、いくつかの作品タイトルが頭に浮かぶだろう。まさに、これらは「いつものカーヴァーの物語」なのだ。
訳者あとがきでは、「以前暮らしていた部屋に久しぶりに入ったような気持ちになった」と、村上自身、懐かしさを吐露している。著者の妻であるテス・ギャラガーは、この短編集を「レイン・バレル(雨樽)に湛えられた水」と称した。レイン・バレルとは、戸外に出しておき、雨水を貯めておく樽のことである。いわば、天然貯水槽。「いつでも好きなときに、私たちはその水を柄杓でくんで、私たちをリフレッシュし、維持させてくれる何かをそこに見出すことができる」、とギャラガーは言う。貯えられた満々の水は、10年経っても変わることなく、われわれの前にある。(文月 達)
購入者の感想
本著は、レイモンド・カーヴァーが亡くなってから10年の経過を経て刊行された遺作短編集とでもいうべきものである。一言で遺作といっても、最後の二作品『必要になったら電話をかけて』と『どれを見たい?』は、カーヴァーの死後10年を経て発見された過去の作品で、生原稿として1984年に仲買人によってまとめ買いされたものの中から熱心なカーヴァー研究者ウィリアム・スタル氏によって掘り起こされたものとある。
それぞれの作品ついては、翻訳された村上春樹氏によって“あとがき”で詳しく解説されているのでとても分かりやすくおもしろい。
多少のちがいはあっても、ぼくとしては抑制の効いたもの静かなトーンで淡々と語りかけるこの作家の独特の文体には、底知れない魅力とイマジネーションの広がりを感じるものがあって素晴らしいと思っている。
ここでは作者の死後、机におさめられたままの遺稿を発表することについて、その行為が正当なものであるかどうかと作家でもある妻のテス・ギャラガーは、ためらい思い悩んだことだろう。おそらく、作家が生前自ら発表することをよしとしなかった草稿であるからだ。作家は何をもってその作品を完成とするのか。
この作家の全作品集の翻訳を完成させるという村上氏は、カーヴァーご夫妻に感謝と敬愛の念をこめて10年後に刊行されたことを称賛し、それを止めることは誰にもできないとしている。
それは、カーヴァー自身が決定稿になる以前の原稿の公表を望んでいなかったとしても、その遺族が望まなかったにしても、もしそれらが公正な目で見て、公にする価値を有している作品だとすれば(言うまでもなく今回の作品群はその価値を十分有している)、それらは歴史的な資産・資料として、なんらかのかたちで日の目を見るべきであるとしている。
どうぞ、ご一読ください。
それぞれの作品ついては、翻訳された村上春樹氏によって“あとがき”で詳しく解説されているのでとても分かりやすくおもしろい。
多少のちがいはあっても、ぼくとしては抑制の効いたもの静かなトーンで淡々と語りかけるこの作家の独特の文体には、底知れない魅力とイマジネーションの広がりを感じるものがあって素晴らしいと思っている。
ここでは作者の死後、机におさめられたままの遺稿を発表することについて、その行為が正当なものであるかどうかと作家でもある妻のテス・ギャラガーは、ためらい思い悩んだことだろう。おそらく、作家が生前自ら発表することをよしとしなかった草稿であるからだ。作家は何をもってその作品を完成とするのか。
この作家の全作品集の翻訳を完成させるという村上氏は、カーヴァーご夫妻に感謝と敬愛の念をこめて10年後に刊行されたことを称賛し、それを止めることは誰にもできないとしている。
それは、カーヴァー自身が決定稿になる以前の原稿の公表を望んでいなかったとしても、その遺族が望まなかったにしても、もしそれらが公正な目で見て、公にする価値を有している作品だとすれば(言うまでもなく今回の作品群はその価値を十分有している)、それらは歴史的な資産・資料として、なんらかのかたちで日の目を見るべきであるとしている。
どうぞ、ご一読ください。