国家神道再考―祭政一致国家の形成と展開 (久伊豆神社小教院叢書) の感想

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タイトル国家神道再考―祭政一致国家の形成と展開 (久伊豆神社小教院叢書)
発売日販売日未定
販売元弘文堂
JANコード9784335160479
カテゴリ人文・思想 » 宗教 » 神道・祭祀 » 神道

購入者の感想

かつて、子安宣邦『国家と祭祀』のレビューに「近代神道の研究者たちからの応答に期待したい」と書いたことのある評者としては、子安の議論を明確に意識する、このような研究書を世に問うに至ったことを、まず歓迎したい。

内容としても、収録されている各論文は近代神道研究の最新の成果としてたいへん興味深い。各章それぞれに、近世から近代に至る時期、神道界内部において、また神道人と外部との接触面において、何がどのような問題を形成し、それがいかに展開していったかの一端を明らかにしてくれる。

しかしながら、この本を子安に対する反論の書として読んだとき、評者としてはいささかの失望を禁じえない。これは、近代神道研究であって、国家神道研究の体をなしていない。後者にあって前者にないのは言うまでもなく「国家」である。

本書の巻末を飾る藤田論文を例にとれば、そこで描かれているのは、国家を意のままにコントロールすることを周縁で夢見ながら、決してその核心部分に参入できないでいる神道人の群像に過ぎない。現実の近代国民国家・日本は、彼らの思惑や目論見とはまったく無関係に走り続けたのである。

この点を考えてみれば、この本が、とりわけ近代になればなるほど、国家の核心からは排除された神道人を対象とした(「国家」抜きの)神道研究に閉じこもってしまっていることが見えてくる。子安が「祀る国家とは、戦う国家である」と言い切るとき、そこにあるのは、国家と神道とを包摂する認識枠組みの提示に向けたチャレンジングな試みである。本書は残念ながら、そうした試みに対する真摯な応答とはなっていない。

「神道人の立場からする神道研究の限界」をいかに踏み越えていくか。いま第一に乗り越えるべき対象は子安ではなく、「國學院大學における神道研究」という著者たち自身のあり方なのではないだろうか。

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