山本周五郎長篇小説全集 第十二巻 ながい坂(下) の感想
参照データ
タイトル | 山本周五郎長篇小説全集 第十二巻 ながい坂(下) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 山本 周五郎 |
販売元 | 新潮社 |
JANコード | 9784106440526 |
カテゴリ | ジャンル別 » 文学・評論 » 全集・選書 » 個人全集 |
購入者の感想
本は綺麗で、梱包も丁寧でした。山本周五郎小説全集のコレクションがこれで完成しました。
少年小三郎の「正義」を出発点に、既得権力との戦いを通しながら、三浦主水正として藩政改革というながいながい坂を、主君と達成していく痛快歴史小説である。また、妻つるの存在が改革に生きる男の魅力を一層際立たせ、その男と女の営みの場面は何故か青年であった私を興奮させてくれた。
小説でもエッセイでも文章で重要なのはその内容であるが、その内容をきわだたせる為の文章表現も劣らず大事である。この点に関しては(かの悪名高き塩野七生をのぞく)大多数の作家がひとしく留意しているが、とりわけ意識的で敏感だったのは昔は夏目漱石、最近では吉本隆明と司馬遼太郎だったのではないだろうか。
漱石ははじめ「心」というタイトルで連載していた新聞小説を岩波書店から出版するときには「こころ」ならぬ「こゝろ」という表題に変更した。
司馬遼太郎は、みずからの文章をおおむねひらかなを主軸としたやわらかな喋り言葉で書きながら、論旨のエッセンスに該当するような箇所にはあえて難解な名詞を漢字で書き込み、それが中心点となるグラフィックの世界をページ毎にレイアウトしていった。
またわが国を代表する詩人でもある吉本隆明が、彼の評論を記述する際に、その論旨の要点を文章の周縁部から劇場的に際立たせるために、「ちいさい」という形容詞や「ひとつふたつ」という数詞、あるいは動詞にもあえてひらかなを多用したことは良く知られている。
こういうやりくちをもちろん熟知していた山本周五郎は、この小説の題名を「長い坂」とせずにあえて「ながい坂」とヒラクことによって、主人公ともはや完全に一体化した長期に亘る激烈な心身の争闘のながさと重さに、私たち読者が想いを馳せ、それを体感してもらうおうと願ったのである。
漱石ははじめ「心」というタイトルで連載していた新聞小説を岩波書店から出版するときには「こころ」ならぬ「こゝろ」という表題に変更した。
司馬遼太郎は、みずからの文章をおおむねひらかなを主軸としたやわらかな喋り言葉で書きながら、論旨のエッセンスに該当するような箇所にはあえて難解な名詞を漢字で書き込み、それが中心点となるグラフィックの世界をページ毎にレイアウトしていった。
またわが国を代表する詩人でもある吉本隆明が、彼の評論を記述する際に、その論旨の要点を文章の周縁部から劇場的に際立たせるために、「ちいさい」という形容詞や「ひとつふたつ」という数詞、あるいは動詞にもあえてひらかなを多用したことは良く知られている。
こういうやりくちをもちろん熟知していた山本周五郎は、この小説の題名を「長い坂」とせずにあえて「ながい坂」とヒラクことによって、主人公ともはや完全に一体化した長期に亘る激烈な心身の争闘のながさと重さに、私たち読者が想いを馳せ、それを体感してもらうおうと願ったのである。