中井久夫の臨床作法 (こころの科学増刊) の感想
参照データ
タイトル | 中井久夫の臨床作法 (こころの科学増刊) |
発売日 | 2015-09-09 |
製作者 | 神田橋 條治 |
販売元 | 日本評論社 |
JANコード | 9784535904361 |
カテゴリ | » 本 » ジャンル別 » 医学・薬学・看護学・歯科学 |
購入者の感想
タイトルは臨床作法となっていますが、統合失調症の患者さんに対してだけではなく、中井久夫先生の人との接し方の基本になる考え方を教えられた気がします。
やや、理想的に描かれているような気もしますが、「頭のてっぺんから足のつま先まで分裂病の人はいない」「統合失調症の患者さんでも大学教授ぐらいだったらできるよね」というフラットな感覚を前提にした言葉を抜き書きしてみます。他のレビューでも発言をご紹介していただいたものがありますが、不思議とダブらなかったので…。
まず、幻覚中心の話題をはずします-中略-病的な話しでいっぱいになっていますから、こちらではむしろお通じの話とか、睡眠の話とか、寝心地の話とか、そんなことに話題を向けることも少なくありません(星野弘)
診断は見事につけられる名医なのかもしれないけれど、患者さんは次回は来ないな思ってしまう先生もいました。
ところが中井先生のところには、患者さんが次回必ずいらっしゃるのです(山中康裕)
僕の経験では、僕の脈が患者さんに合うのです。初診の時は、脈を合わせるため診ているのだと思ったこともありました。
往診するとなぜかペットがよく出て来るのです(中井久夫)
患者さんと距離をとれというのがお題目のようになったのは、いわゆるボーダーラインの人たちのことが問題になった頃からだと思うのです。
警察官というのは絶対に出身地は派遣しないのです。それだから「警官と市民」という限定された距離になってしまうのです(田中究)
アメリカの学術誌に論文を受理させるためには、DSMの診断を使わないとだめといった事情があったようです(滝川一廣)
医者に絵を描かされたことはあるけれども、医者が絵を描くのを見ていたことは初めてだと言っていました(中井久夫)
中井先生は(僕は時々間違って描写することがあるのですが)おずおずと引かれた一本の線も、芸術家が描いたすごい塗りこめられて非常にきれいに形づくられたタブローも、哲学的には等価なのだ、ということをおっしゃったと思うのです(山中康裕)
やや、理想的に描かれているような気もしますが、「頭のてっぺんから足のつま先まで分裂病の人はいない」「統合失調症の患者さんでも大学教授ぐらいだったらできるよね」というフラットな感覚を前提にした言葉を抜き書きしてみます。他のレビューでも発言をご紹介していただいたものがありますが、不思議とダブらなかったので…。
まず、幻覚中心の話題をはずします-中略-病的な話しでいっぱいになっていますから、こちらではむしろお通じの話とか、睡眠の話とか、寝心地の話とか、そんなことに話題を向けることも少なくありません(星野弘)
診断は見事につけられる名医なのかもしれないけれど、患者さんは次回は来ないな思ってしまう先生もいました。
ところが中井先生のところには、患者さんが次回必ずいらっしゃるのです(山中康裕)
僕の経験では、僕の脈が患者さんに合うのです。初診の時は、脈を合わせるため診ているのだと思ったこともありました。
往診するとなぜかペットがよく出て来るのです(中井久夫)
患者さんと距離をとれというのがお題目のようになったのは、いわゆるボーダーラインの人たちのことが問題になった頃からだと思うのです。
警察官というのは絶対に出身地は派遣しないのです。それだから「警官と市民」という限定された距離になってしまうのです(田中究)
アメリカの学術誌に論文を受理させるためには、DSMの診断を使わないとだめといった事情があったようです(滝川一廣)
医者に絵を描かされたことはあるけれども、医者が絵を描くのを見ていたことは初めてだと言っていました(中井久夫)
中井先生は(僕は時々間違って描写することがあるのですが)おずおずと引かれた一本の線も、芸術家が描いたすごい塗りこめられて非常にきれいに形づくられたタブローも、哲学的には等価なのだ、ということをおっしゃったと思うのです(山中康裕)
中井久夫さんといえば、統合失調症臨床の大家であることはまちがいないのですが、
この特集を読むと、統合失調症だけではなく対人援助の基本の基本になる考え方を
多くの方に伝えられた先生なのだということがわかります(いまさらながらですが)。
ほんの一部しか抜き出せませんが、
このことは、この特集の記事のそこかしこに現れます。
自分が思っているよりも、もう少し距離を縮める
ほどよいとか、冷静かつ客観的に観察するといった視点はもちろん切り捨てるわけ
ではないのですが、関わっている時はどこかしら少し縮めるような感覚が必要なの
ではないかと思います。(座談会:青木氏)
初めてのお薬を出される時に、患者さんは廃人になってしまうのではないかとか、
別人になってしまうのではないかという「恐れ」を持っておられるかもしれない
から「考えが止まってしまうかもしれないけどそれは一時的なものだよ」とか、
あらかじめお薬に関することはきちんと説明されて(座談会:滝川氏)
「なにより大切なのは、『希望』を処方すること」
(中井先生が処方してくれたもの:藤井氏)
「了解不能ということはないんだよね」僕が理解できないだけであって、患者さん
には患者さんの世界があり、それが僕にはわからないということに過ぎないのだと
(座談会:田中氏)
「理論は過激に、臨床は素朴に」高度な平凡性を維持するためにこそ理論は複雑性
が不可欠である(常識としての「小文字の精神療法」:斎藤氏)
いろいろ考えた上で、しかし、いわば「手ぶら」で面談に臨む
(自分でも用意していなかった問い:横田氏)
私自身のクライアントさんへの向き合い方を、しっかり振り返ってみたいと思います。
この特集を読むと、統合失調症だけではなく対人援助の基本の基本になる考え方を
多くの方に伝えられた先生なのだということがわかります(いまさらながらですが)。
ほんの一部しか抜き出せませんが、
このことは、この特集の記事のそこかしこに現れます。
自分が思っているよりも、もう少し距離を縮める
ほどよいとか、冷静かつ客観的に観察するといった視点はもちろん切り捨てるわけ
ではないのですが、関わっている時はどこかしら少し縮めるような感覚が必要なの
ではないかと思います。(座談会:青木氏)
初めてのお薬を出される時に、患者さんは廃人になってしまうのではないかとか、
別人になってしまうのではないかという「恐れ」を持っておられるかもしれない
から「考えが止まってしまうかもしれないけどそれは一時的なものだよ」とか、
あらかじめお薬に関することはきちんと説明されて(座談会:滝川氏)
「なにより大切なのは、『希望』を処方すること」
(中井先生が処方してくれたもの:藤井氏)
「了解不能ということはないんだよね」僕が理解できないだけであって、患者さん
には患者さんの世界があり、それが僕にはわからないということに過ぎないのだと
(座談会:田中氏)
「理論は過激に、臨床は素朴に」高度な平凡性を維持するためにこそ理論は複雑性
が不可欠である(常識としての「小文字の精神療法」:斎藤氏)
いろいろ考えた上で、しかし、いわば「手ぶら」で面談に臨む
(自分でも用意していなかった問い:横田氏)
私自身のクライアントさんへの向き合い方を、しっかり振り返ってみたいと思います。