工学部ヒラノ教授と昭和のスーパー・エンジニア -森口繁一という天才- の感想
参照データ
タイトル | 工学部ヒラノ教授と昭和のスーパー・エンジニア -森口繁一という天才- |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 今野浩 |
販売元 | 青土社 |
JANコード | 9784791768677 |
カテゴリ | ジャンル別 » ノンフィクション » 科学 » 科学史・科学者 |
購入者の感想
今では知る人も少なくなりましたが、1970年代の書店の理工系図書のコーナーには、いつも目につく不思議な著者がいた。数学、品質管理、線形計画法、電算機用言語、日本規格協会の図書と、専門別に分かれた棚のどの棚にも、同じ名前の著者の別々の著書が並んでいる。いったいこの著者は何が専門なのかと、ちょっと不思議な人がいた。その著者とは、本書の主人公森口繁一その人である。
同じような例はそれまでもあった。1960年代の国語辞典はどれもが、監修や編者の名前が金田一京助だったし、60年から70年代にかけて大学受験用の参考書の著者には、英語の西尾孝や数学の矢野健太郎がうんざりするほど目についた。ただ、学校を卒業するとこれらの著者とは無縁になった。
ところが、森口繁一は、評者が工学部の学生の頃は、統計学や大型電算機フォートラン用言語などの専門書で目にしたが、卒業後は技術者として活動すると、今度は日本規格協会などの講習会、セミナーの案内書などで、よく名前が出てくるのでびっくりした。この人は日本の統計的品質管理活動の啓蒙者であり、推進者だったのだ。
そうして森口繁一とは、日本が生み出す工業製品の品質が信頼に足る優秀なものになるために、産業界に大変な功績を残した人であることもだんだんと知るようになった。産業界の大恩人の一人であることは間違いない。
しかし森口繁一も年を取ると共に、著書も古くなったり新しい著者にとって代わられて、書店では見かけなくなり、産業界からも忘れ去られていった。最後は文化功労章、文化勲章などからも無縁のまま逝かれたらしい。惜しい。
今野先生の「工学部ヒラノ教授」シリーズを読むようになって、森口繁一は、東大工学部三十年に一人の大天才だったことをはじめて知った。その天才教授の門下生が今野先生である。
この本を読むと、今野先生は、人生の節目、節目で、ずいぶんと森口教授のお世話になっていたらしいことがよく分かった。そして、森口繁一がこのまま世の中から忘れられていくことを、誰よりも惜しいと思われたのが、今野先生だったことも。
同じような例はそれまでもあった。1960年代の国語辞典はどれもが、監修や編者の名前が金田一京助だったし、60年から70年代にかけて大学受験用の参考書の著者には、英語の西尾孝や数学の矢野健太郎がうんざりするほど目についた。ただ、学校を卒業するとこれらの著者とは無縁になった。
ところが、森口繁一は、評者が工学部の学生の頃は、統計学や大型電算機フォートラン用言語などの専門書で目にしたが、卒業後は技術者として活動すると、今度は日本規格協会などの講習会、セミナーの案内書などで、よく名前が出てくるのでびっくりした。この人は日本の統計的品質管理活動の啓蒙者であり、推進者だったのだ。
そうして森口繁一とは、日本が生み出す工業製品の品質が信頼に足る優秀なものになるために、産業界に大変な功績を残した人であることもだんだんと知るようになった。産業界の大恩人の一人であることは間違いない。
しかし森口繁一も年を取ると共に、著書も古くなったり新しい著者にとって代わられて、書店では見かけなくなり、産業界からも忘れ去られていった。最後は文化功労章、文化勲章などからも無縁のまま逝かれたらしい。惜しい。
今野先生の「工学部ヒラノ教授」シリーズを読むようになって、森口繁一は、東大工学部三十年に一人の大天才だったことをはじめて知った。その天才教授の門下生が今野先生である。
この本を読むと、今野先生は、人生の節目、節目で、ずいぶんと森口教授のお世話になっていたらしいことがよく分かった。そして、森口繁一がこのまま世の中から忘れられていくことを、誰よりも惜しいと思われたのが、今野先生だったことも。
「計算数学夜話」以来の森口ファンだったので,森口先生の人となりがなんとなく分かって楽しく読めました。森口先生を知らない若い世代には,興味のないお話かもしれませんね。
2カ所ほど誤記を見つけました。
p.10 堀越次郎 → 堀越二郎
高田助教授に関する記述
p.31 機械工学科を卒業したあと → 航空工学科を卒業したあと
2カ所ほど誤記を見つけました。
p.10 堀越次郎 → 堀越二郎
高田助教授に関する記述
p.31 機械工学科を卒業したあと → 航空工学科を卒業したあと