昭和30年代の「意外」な真実 (だいわ文庫) の感想
参照データ
タイトル | 昭和30年代の「意外」な真実 (だいわ文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 武田知弘 |
販売元 | 大和書房 |
JANコード | 9784479304210 |
カテゴリ | 歴史・地理 » 日本史 » 一般 » 日本史一般 |
購入者の感想
丁度、私自身が経験した時代を活き活きと描いた良書です。
記憶が確かなのは昭和30年代末以降ですが、当時の柏木(今の北新宿)には、未だ戦災で身寄りのない
お婆様が、丁度ドーム型のテントのような、焼けトタンにタール塗りの窓も水道もロクにない小屋に
暮らしておられました。
(無人の廃墟と思っていたのを、民生委員(?)の方が訪れていたところを見て仰天したのを未だに
ショックと共に思い出します)
今は清流となった多摩川や神田川もでっかいドブ以外のなにものでもなく、西新宿の高層ビル群が
未だに「淀橋浄水場」で、そこからの水道水の臭かったこと。また、丁度未だテレビがモノクロから
カラーに代わる時期で、小規模な団地暮らしだったためか、「○○ちゃんのウチはカラーTVがある」
と、カラーのアニメがあるとその家に団地中の子供がテンコモリになっていたこと、反面、核戦争の
恐怖は当時から根強く、実際、「雨に濡れるとハゲる」と子供たちがかなり真剣に言っていました。
今は墨東地区に住まいしていますが、実際にすぐ近くに未だに水上生活者の方が僅かながら居られます
し、先年の震災までは、徒歩数分のところにトタンにタール塗りの家にお住まいの方がありました。
幸いにしてメーカー勤務だった父親のおかげでひもじい思いはしなかったものの、やはり給食費が
払えなかったり、木造の6畳一間のアパート(所謂、ナントカ荘)に親子4人で暮らしていた級友も
ありました。私自身、社会人になるまでは部屋にクーラー(当時はエアコンとは言わなかった)が
なく、酷いスモッグや光化学スモッグで痛めつけられ、弟が酷い喘息になったり。
ある意味、前だけ、上だけを見ていればよかった時代でもありますが、本書はその暗部にも触れている
点と、風俗史やエロ・グロ・ナンセンスのヲタク文化まで巧く掘り下げています。
今になって思うと、「戦争を知らない子供たち」という言葉を改めて幸せと感じることのできる良書
です。「この道はいつか来た道」という言葉も噛みしめつつ味わいたい1冊です。
記憶が確かなのは昭和30年代末以降ですが、当時の柏木(今の北新宿)には、未だ戦災で身寄りのない
お婆様が、丁度ドーム型のテントのような、焼けトタンにタール塗りの窓も水道もロクにない小屋に
暮らしておられました。
(無人の廃墟と思っていたのを、民生委員(?)の方が訪れていたところを見て仰天したのを未だに
ショックと共に思い出します)
今は清流となった多摩川や神田川もでっかいドブ以外のなにものでもなく、西新宿の高層ビル群が
未だに「淀橋浄水場」で、そこからの水道水の臭かったこと。また、丁度未だテレビがモノクロから
カラーに代わる時期で、小規模な団地暮らしだったためか、「○○ちゃんのウチはカラーTVがある」
と、カラーのアニメがあるとその家に団地中の子供がテンコモリになっていたこと、反面、核戦争の
恐怖は当時から根強く、実際、「雨に濡れるとハゲる」と子供たちがかなり真剣に言っていました。
今は墨東地区に住まいしていますが、実際にすぐ近くに未だに水上生活者の方が僅かながら居られます
し、先年の震災までは、徒歩数分のところにトタンにタール塗りの家にお住まいの方がありました。
幸いにしてメーカー勤務だった父親のおかげでひもじい思いはしなかったものの、やはり給食費が
払えなかったり、木造の6畳一間のアパート(所謂、ナントカ荘)に親子4人で暮らしていた級友も
ありました。私自身、社会人になるまでは部屋にクーラー(当時はエアコンとは言わなかった)が
なく、酷いスモッグや光化学スモッグで痛めつけられ、弟が酷い喘息になったり。
ある意味、前だけ、上だけを見ていればよかった時代でもありますが、本書はその暗部にも触れている
点と、風俗史やエロ・グロ・ナンセンスのヲタク文化まで巧く掘り下げています。
今になって思うと、「戦争を知らない子供たち」という言葉を改めて幸せと感じることのできる良書
です。「この道はいつか来た道」という言葉も噛みしめつつ味わいたい1冊です。