慶應幼稚舎と慶應横浜初等部 (朝日新書) の感想
参照データ
タイトル | 慶應幼稚舎と慶應横浜初等部 (朝日新書) |
発売日 | 2014-05-13 |
製作者 | 石井 至 |
販売元 | 朝日新聞出版 |
JANコード | 9784022735614 |
カテゴリ | ジャンル別 » 人文・思想 » 教育学 » 一般 |
購入者の感想
全般的に面白い本だとは思うのですが、一部残念な箇所があります。
著者自身が経営する塾(アンテナプレスクール)の保護者から聞いた話として個人が特定される様な事例(しかも内容からして当事者からは絶対に了解を得ていない)が紹介されており、読んだ瞬間に興醒めしてしまいました・・・。
著者としては内部情報に精通していることをアピールしたかったのかもしれませんが、当事者に対して著しく配慮に欠けていると思いました。
塾の会報といった内々の文書に内輪ネタの一つとして掲載するくらいならまだしも、売り物として書籍に収めるのは如何なものでしょう。
その情報をもたらした保護者にしても、まさか自分が提供した「お話」が書籍の一文に組み込まれて市場に出回ることになるとは思っていなかったのではないでしょうか。(それとも情報提供の見返りに何らかの謝礼くらい貰っているのかな。それにしても身内のことを「売る」なんて最低な行為だと思いますけどね…。)
お話のネタに使われた関係者がこのことを知ったらアンテナ出身の保護者に対して間違いなく不審の念を抱くでしょうね…。
個人情報が本人の与り知らぬところでいつの間にか流布されてしまうというのは本当に恐ろしいことだと思いました・・・。
著者自身が経営する塾(アンテナプレスクール)の保護者から聞いた話として個人が特定される様な事例(しかも内容からして当事者からは絶対に了解を得ていない)が紹介されており、読んだ瞬間に興醒めしてしまいました・・・。
著者としては内部情報に精通していることをアピールしたかったのかもしれませんが、当事者に対して著しく配慮に欠けていると思いました。
塾の会報といった内々の文書に内輪ネタの一つとして掲載するくらいならまだしも、売り物として書籍に収めるのは如何なものでしょう。
その情報をもたらした保護者にしても、まさか自分が提供した「お話」が書籍の一文に組み込まれて市場に出回ることになるとは思っていなかったのではないでしょうか。(それとも情報提供の見返りに何らかの謝礼くらい貰っているのかな。それにしても身内のことを「売る」なんて最低な行為だと思いますけどね…。)
お話のネタに使われた関係者がこのことを知ったらアンテナ出身の保護者に対して間違いなく不審の念を抱くでしょうね…。
個人情報が本人の与り知らぬところでいつの間にか流布されてしまうというのは本当に恐ろしいことだと思いました・・・。
石井至さんは毒舌家なんだそうだ。あんまりにも刺のある毒を吐き続けるので、それが編集の段階で全部濾過されてしまっているので、本書は原形をとどめないほどきれいで面白みの無い仕上がりになっているんだそうだ。
(石井氏本来の毒を堪能したい場合は、彼の講演会を聞きに来て欲しいとのこと)。
それでも本書には、濾過し損ねた石井氏の毒が全くないわけでもない。どうやらその片鱗がそこかしこに取りこぼしてある。
本書の冒頭で石井氏は「絶対に公立の小学校に子どもをやるな」「進学させるなら断然私立の小学校。底辺の私立の小学校でも公立よりはまし」「私立の小学校の頂点に立つのが慶應幼稚舎だ」ときっぱりと言い切る。言い切るのだが、読み進むと「本当に慶應幼稚舎に子どもを進学させることがベストの選択なのか」と不安になるようなことが、そこかしこに書いてあるのだ。例えばだ。前作の『慶應幼稚舎』を読んだ方はご存じだろうが、慶應幼稚舎は「学校では勉強は教えない。勉強は家庭でやってくれ。学校は元気に明るく遊んで体力をつけ、健康になるところ」という確固たる教育方針を掲げている。「皆さん、お子さんの勉強は各家庭でしっかり見てあげて下さいね」と入学時に噛んで含めるように学校は父母に言い渡すんだという。そして慶應幼稚舎は学校にマンガ持ち込み自由である。やりたい放題である。だから慶應幼稚舎で6年間を過ごし、慶応普通部や慶應中等部に進学した生徒の中に「九九がろくに言えない」ような輩が出てくる。「遊ぶのが学校の役目」と言い切ってはばからない幼稚舎と異なり、慶應普通部(男子中学)、慶應中等部(共学中学)、慶應義塾高等学校(男子校)では60点を取れないと落第となり留年してまた留年となると放校処分となる(退学)。本書の巻末に出てくる慶應幼稚舎OBのキャスター木村太郎は、こうして慶應を退学させられ名古屋にある東海高校に編入して慶應大学法学部に入り直している。
(石井氏本来の毒を堪能したい場合は、彼の講演会を聞きに来て欲しいとのこと)。
それでも本書には、濾過し損ねた石井氏の毒が全くないわけでもない。どうやらその片鱗がそこかしこに取りこぼしてある。
本書の冒頭で石井氏は「絶対に公立の小学校に子どもをやるな」「進学させるなら断然私立の小学校。底辺の私立の小学校でも公立よりはまし」「私立の小学校の頂点に立つのが慶應幼稚舎だ」ときっぱりと言い切る。言い切るのだが、読み進むと「本当に慶應幼稚舎に子どもを進学させることがベストの選択なのか」と不安になるようなことが、そこかしこに書いてあるのだ。例えばだ。前作の『慶應幼稚舎』を読んだ方はご存じだろうが、慶應幼稚舎は「学校では勉強は教えない。勉強は家庭でやってくれ。学校は元気に明るく遊んで体力をつけ、健康になるところ」という確固たる教育方針を掲げている。「皆さん、お子さんの勉強は各家庭でしっかり見てあげて下さいね」と入学時に噛んで含めるように学校は父母に言い渡すんだという。そして慶應幼稚舎は学校にマンガ持ち込み自由である。やりたい放題である。だから慶應幼稚舎で6年間を過ごし、慶応普通部や慶應中等部に進学した生徒の中に「九九がろくに言えない」ような輩が出てくる。「遊ぶのが学校の役目」と言い切ってはばからない幼稚舎と異なり、慶應普通部(男子中学)、慶應中等部(共学中学)、慶應義塾高等学校(男子校)では60点を取れないと落第となり留年してまた留年となると放校処分となる(退学)。本書の巻末に出てくる慶應幼稚舎OBのキャスター木村太郎は、こうして慶應を退学させられ名古屋にある東海高校に編入して慶應大学法学部に入り直している。