オリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー) の感想

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参照データ

タイトルオリエンタリズム〈上〉 (平凡社ライブラリー)
発売日販売日未定
製作者エドワード・W. サイード
販売元平凡社
JANコード9784582760118
カテゴリ歴史・地理 » 世界史 » アジア史 » その他

購入者の感想

 あくまで上巻に関する感想ですが、サイードが抽出しようとしている分析対象そのものの記述よりも、サイードの主張の方が文章量が多いのが気になりました。目次を見て、西欧におけるオリエンタリズムの形成を歴史学的に分析したものなのかという期待を持ち読んでみたのですが、比較的まとまった記載があるのは、サシー、ルナン、バートン、ネルヴァル、フローベールくらいで、彼らはともかく、名前が挙がっているだけの多くの研究者・政治家・作家達のオリエンタリズム度がうまく判断できない、うっかりすると名前しか挙がっていない人々が、バルフォアやクレーマーと一緒に思えてしまうような陥穽が、この書籍にはあるように思えました。

 同じ内容が執拗なまでに繰り返し言葉を代え、文章を代えて繰り返されるので、最初は、章毎に発表媒体が異なったものを集成した書籍ということなのかと思ったりしましたが、後半に入り自分的に納得できたのは、p343のルナンの引用文を読んだ時です。引用文直前に、サイードは、オリエンタリズム的言説は「記述的であることは稀であり、ほとんどつねに評価的かつ解説的である」と記載していますが、私には、p343のルナンの文体やp393に引用されているシャトーブリアンの文体は、本書におけるサイードの文体と変わらないように思えました。サイードの文体も、「記述的であることは稀であり、ほとんどつねに評価的かつ解説的である」ように思えました。

 つまり、サイードの意図は、客観性・科学性・文学性を装ったオリエンタリズム分析を行なうのではなく、その客観性・科学性の中にこそイデオロギーが潜んでいるのであるから、思い切り開き直って、『「オリエンタリズムの言説」を炙り出す(サイードの)言説』を、大量に書き連ねて読者に刷り込むこと・「オリエンタリズムの言説」を指摘するだけではなく、身を持って同じことをやって、その威力を表現すること、にあったのではないかと思うわけです。

 洋画を見ているとたまに、カメラを持った典型的な日本人や、カンフーの真似をする中国人が登場すると、胸がどきりとすることがある。不快だ。自分も含めた日本人がいまだに西洋人から、そのような程度の認識で見られているとは。そして、もっと哀しいのは、私がその映画をまぎれもない「西洋人」の視点から観ていたのだと、気づかされることだ。
 自分自身もパレスチナ人であるサイードは、アメリカ暮らしなど経て、この著書を書くに至った。であるから、サイードははっきりと言う。西洋人が東洋人を描くときの表現と、実際の東洋人とは何の対応関係もないのだ、と。なぜなら「オリエンタリズム」という言葉は、西洋人が東洋をどのように見ているかに他ならず、西洋の中にある東洋のことでしかないからだ。私はこの言葉のためだけでも読むかいはあると思う。
 特に外国を旅行しているときなどに、強く自分を東洋人だと意識させられることがある。そのときの何とも言えない複雑な心境。その心境がいったいどこから来るのか。歴史、哲学、文学、政治、地理などあらゆる分野の文章を引っぱってきて、サイードは説明を試みる。どこの国の人間が読んでも、必ず考えさせられる名著。 0

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