吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫) の感想
参照データ
タイトル | 吉田松陰 留魂録 (全訳注) (講談社学術文庫) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 古川 薫 |
販売元 | 講談社 |
JANコード | 9784061595651 |
カテゴリ | » 本 » ジャンル別 » 文学・評論 |
購入者の感想
書き遺された環境とその後の来歴、大天才が残した奇跡の書といえるでしょう。
日本を知るためにいつの時代も必読の書に違いありません。
日本を知るためにいつの時代も必読の書に違いありません。
松陰の遺言とも言えるこの留魂録の中で、特に印象に残っているのは、
『十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。
二十歳には、おのずから二十歳の四季が、
三十歳には、おのずから三十歳の四季が、
五十、百歳にもおのずからの四季がある。』という言葉です。
『私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げたものはない』が、
『(それでも自分が死ぬという今は)やはり花咲き実りを迎えたときなのである。』
人は必ず死ぬ。だから死ぬ時がわかったからと言ってじたばたするな。
いつ死んでも後悔しないよう、今という時を懸命に生きろ。
という意味だと受け取りますが、死を目前にして、なおかつ、その澄み切った心から湧き出た素晴らしい言葉だと思います。
聞かれもしないのに自分の過去の罪状を告白したことが、死罪の原因となります。
松陰の自分の意志を貫く姿には圧倒されます。
本の後半には、史伝・吉田松陰というタイトルで、訳者の古川氏によって書かれた松陰の半生が記されています。
松陰の生き方を知る上でとても参考になりました。
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『十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。
二十歳には、おのずから二十歳の四季が、
三十歳には、おのずから三十歳の四季が、
五十、百歳にもおのずからの四季がある。』という言葉です。
『私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成し遂げたものはない』が、
『(それでも自分が死ぬという今は)やはり花咲き実りを迎えたときなのである。』
人は必ず死ぬ。だから死ぬ時がわかったからと言ってじたばたするな。
いつ死んでも後悔しないよう、今という時を懸命に生きろ。
という意味だと受け取りますが、死を目前にして、なおかつ、その澄み切った心から湧き出た素晴らしい言葉だと思います。
聞かれもしないのに自分の過去の罪状を告白したことが、死罪の原因となります。
松陰の自分の意志を貫く姿には圧倒されます。
本の後半には、史伝・吉田松陰というタイトルで、訳者の古川氏によって書かれた松陰の半生が記されています。
松陰の生き方を知る上でとても参考になりました。
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