動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 の感想

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タイトル動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学
発売日販売日未定
製作者千葉 雅也
販売元河出書房新社
JANコード9784309246352
カテゴリ人文・思想 » 哲学・思想 » 西洋思想 » 西洋哲学入門

購入者の感想

まず、東大の哲学研究はフランス現代思想(の一部)に偏りすぎていると思います。
発想が膠着している印象です。

この本にも同じ印象を感じました。
日本哲学の若手ヒーローの系図はどうしていつもこれなのか。

浅田彰はスキゾを持ち上げましたが、
日本において天才はパラノばかりだ、と柄谷行人が言ったように、
そもそも分裂症的な日本人にそんなこと言って近代の反省(ポストモダン)になるの?
というのが僕の疑問でした。
千葉も相変わらずスキゾを持ち上げればいいと思っている点で進歩がないようです。

東浩紀は切断の必要性を訴えましたが、
結局は「日本のオタクは最先端だ」と言いたかっただけでした。
政治的コミットメントを嫌う日本人に、
切断の必要性を説くことで近代の反省(ポストモダン)になるの?
というのが僕の疑問でした。
千葉の非意味的切断もそれほど変わらない感じです。

千葉は接続的なベルクソン的ドゥルーズに対し、
切断的なヒューム的ドゥルーズも忘れてはならないと言いたいようです。

両方でワンセットという前提はいいと思います。
そこは僕も理解しています。

しかし、非意味的切断の強調は、
こと日本においては弊害の方が大きいと思います。

ベルグソン的ドゥルーズからヒューム的ドゥルーズへの流れは、
丸山眞男的に言えば、
ササラ型からタコツボ型への変化に対応するように思えるのです。

僕は80年代以降の日本のフランス現代思想受容が、
日本人のナルシシズムを強化したと思っています。
西洋人にとっての反省が、日本人にとって反省になるとは限りません。

そもそも、地域共同体の束縛を嫌って、
タコツボ的に引きこもることを目指すのは日本近代文学の伝統です。
その伝統に哲学も影響されているようですが、
既視感がありすぎます。

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