リゲティ、ベリオ、ブーレーズ―前衛の終焉と現代音楽のゆくえ の感想
参照データ
タイトル | リゲティ、ベリオ、ブーレーズ―前衛の終焉と現代音楽のゆくえ |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 沼野 雄司 |
販売元 | 音楽之友社 |
JANコード | 9784276132023 |
カテゴリ | エンターテイメント » 音楽 » 音楽理論・音楽論 » 音楽史 |
購入者の感想
本書の独創性は《1970年前後に現代音楽の世界で「前衛」という様式が終焉をむかえ、現代音楽が本質的な変容をとげたことを、実証的に論ずる》ことにあるとされている(音楽之友社HP)。しかし,中身を見る限り,本書を実証的な研究とは呼べないのではないかと思われる。方法論の観点に絞り,理由を大きく2点述べる。
1.資本主義論理の支配と教養主義の崩壊により,経済的に新しさの追求が経済的に困難になった。作曲家は多かれ少なかれ大衆に迎合しなければならず,これが前衛の終焉に結びつくとしている。ならば,まず歴史学の観点から,かつての前衛における社会的状況と,現代に於ける前衛の社会的状況を,定量的に比較することが必要だ。しかし本書には譜面による分析しかなく,肝心の「前衛の終焉」については主観的評価しかくだしていない。
2.譜面の分析についても問題がある。譜面の分析において「前衛の終焉」を「実証」的に論ずるとは,ある語法がどれくらいの比率で用いられたのか,任意の表現技法の構成比が母集団の中でどう変化したかを定量的に示すことを指す。しかし,筆者はこれもおこなっておらず,この点においても主観的評価しか下していない。
畢竟,作者にはすでに前衛の終焉についての私見があり,これを譜面分析によってそれらしく装飾しただけである。正しく実証的な研究は,もっと地道な情報収集と,臆断を挟まぬサンプリングによって行われるべきである。なお,三人の作家の代表性を始め,他にも少なからぬ論理の飛躍や臆断が含まれているが,紙幅の都合上割愛する。
1.資本主義論理の支配と教養主義の崩壊により,経済的に新しさの追求が経済的に困難になった。作曲家は多かれ少なかれ大衆に迎合しなければならず,これが前衛の終焉に結びつくとしている。ならば,まず歴史学の観点から,かつての前衛における社会的状況と,現代に於ける前衛の社会的状況を,定量的に比較することが必要だ。しかし本書には譜面による分析しかなく,肝心の「前衛の終焉」については主観的評価しかくだしていない。
2.譜面の分析についても問題がある。譜面の分析において「前衛の終焉」を「実証」的に論ずるとは,ある語法がどれくらいの比率で用いられたのか,任意の表現技法の構成比が母集団の中でどう変化したかを定量的に示すことを指す。しかし,筆者はこれもおこなっておらず,この点においても主観的評価しか下していない。
畢竟,作者にはすでに前衛の終焉についての私見があり,これを譜面分析によってそれらしく装飾しただけである。正しく実証的な研究は,もっと地道な情報収集と,臆断を挟まぬサンプリングによって行われるべきである。なお,三人の作家の代表性を始め,他にも少なからぬ論理の飛躍や臆断が含まれているが,紙幅の都合上割愛する。