現代思想 2015年1月号 特集=現代思想の新展開2015 -思弁的実在論と新しい唯物論- の感想
参照データ
タイトル | 現代思想 2015年1月号 特集=現代思想の新展開2015 -思弁的実在論と新しい唯物論- |
発売日 | 2014-12-27 |
製作者 | 千葉雅也 |
販売元 | 青土社 |
JANコード | 9784791712922 |
カテゴリ | » 本 » ジャンル別 » 文学・評論 |
購入者の感想
レビューを書き直します(2/28)。
2013年1月号も2014年1月号も2015年1月号も
あまりに変わりばえのしない特集なのであきれました。
2013は「現代思想の総展望」
2014は「現代思想の転回」
2015は「現代思想の新展開」
転回とか新展開とか別の方向への新しさを強調していますが、
停滞感をごまかす宣伝文句としか思えません。
そもそも「ポスト・ポスト構造主義」という名称が停滞感を表していますし、
年始の挨拶にしても執筆陣に変化がなさすぎます。
なにより大部分がフランス思想でしかないことに飽き飽きしています。
視点を新しくする努力もせずに、文句だけで新しさを強調するようでは、
「思想」を名乗る資格があるかどうかも怪しいものです。
大澤真幸と成田龍一の対談は3年連続です。
大澤は先月号にも出ていますし、
編集部と特別な関係でもあるのでしょうか。
千葉雅也とメイヤスーも3年連続ですね。
また中沢新一や清水高志や近藤和敬とか、顔ぶれの変化が少なすぎます。
同じ顔ぶれを続けることで、
現代思想の村社会化が進むという危機意識もないようです。
この雑誌の自浄機能は紅白歌合戦以下だと言えます。
問題はフランス現代思想にパラノイア的に取り憑かれていることです。
浅田彰はフランス現代思想を他方向的な「スキゾ」として紹介しましたが、
日本の現代思想は口では「スキゾ」と言いながらフランス一辺倒の「パラノ」と化しています。
スキゾの末路はパラノだというのが、あまりに日本的でガッカリします。
現代思想=フランス現代思想という視野狭窄は、
おそらく東京大学(蓮實重彦)のヘゲモニーに関係する問題だと思います。
そういう権威の問題に知らん顔のできる連中がフランス思想で商売をしているだけです。
僕は昨年号は読みましたが、この号は読んでいません。
というか、読む気が起こりませんでした。
2013年1月号も2014年1月号も2015年1月号も
あまりに変わりばえのしない特集なのであきれました。
2013は「現代思想の総展望」
2014は「現代思想の転回」
2015は「現代思想の新展開」
転回とか新展開とか別の方向への新しさを強調していますが、
停滞感をごまかす宣伝文句としか思えません。
そもそも「ポスト・ポスト構造主義」という名称が停滞感を表していますし、
年始の挨拶にしても執筆陣に変化がなさすぎます。
なにより大部分がフランス思想でしかないことに飽き飽きしています。
視点を新しくする努力もせずに、文句だけで新しさを強調するようでは、
「思想」を名乗る資格があるかどうかも怪しいものです。
大澤真幸と成田龍一の対談は3年連続です。
大澤は先月号にも出ていますし、
編集部と特別な関係でもあるのでしょうか。
千葉雅也とメイヤスーも3年連続ですね。
また中沢新一や清水高志や近藤和敬とか、顔ぶれの変化が少なすぎます。
同じ顔ぶれを続けることで、
現代思想の村社会化が進むという危機意識もないようです。
この雑誌の自浄機能は紅白歌合戦以下だと言えます。
問題はフランス現代思想にパラノイア的に取り憑かれていることです。
浅田彰はフランス現代思想を他方向的な「スキゾ」として紹介しましたが、
日本の現代思想は口では「スキゾ」と言いながらフランス一辺倒の「パラノ」と化しています。
スキゾの末路はパラノだというのが、あまりに日本的でガッカリします。
現代思想=フランス現代思想という視野狭窄は、
おそらく東京大学(蓮實重彦)のヘゲモニーに関係する問題だと思います。
そういう権威の問題に知らん顔のできる連中がフランス思想で商売をしているだけです。
僕は昨年号は読みましたが、この号は読んでいません。
というか、読む気が起こりませんでした。
大丈夫? とまず思いました。
2013年1月号も2014年1月号も今年も、
定番という以上に同じ感じじゃないですか(笑)
大澤真幸と成田龍一の対談は新年の恒例行事なんですか?
大澤は先月号も出てましたけど……
そんなに大人物ですかね。
千葉雅也とメイヤスーも3年連続ですね。
また中沢新一や清水高志や近藤和敬とか、人材不足なんですか?
(個人的に近藤さんは読みたい人ではありますが)
同じ顔ぶれを続けることで、現代思想の村社会化が進むという
危機意識もないんですね。
紅白歌合戦だってもう少しメンバーが変わっている気がするんですけど。
名称からしてマンネリを訴えている「ポスト・ポスト構造主義」。
この名称もやめた方がいいと思いますよ。
もはやフランス現代思想にパラノイア的に取り憑かれてますね。
スキゾの末路はパラノだというのが、まさに日本という場所なのでしょう。
こういう思考停止も僕には反知性主義の一種に思えます。
告白しますが、僕は昨年号は読みましたが、この号は読んでいません。
レビューするのに不謹慎だと思われる方もいるでしょうが、
「期待してたが読む気が起こらない」ということを告げたかったものですので、
無礼をお許しください。
(一応、営業妨害にならないように次号の発売まで待ちました)
2013年1月号も2014年1月号も今年も、
定番という以上に同じ感じじゃないですか(笑)
大澤真幸と成田龍一の対談は新年の恒例行事なんですか?
大澤は先月号も出てましたけど……
そんなに大人物ですかね。
千葉雅也とメイヤスーも3年連続ですね。
また中沢新一や清水高志や近藤和敬とか、人材不足なんですか?
(個人的に近藤さんは読みたい人ではありますが)
同じ顔ぶれを続けることで、現代思想の村社会化が進むという
危機意識もないんですね。
紅白歌合戦だってもう少しメンバーが変わっている気がするんですけど。
名称からしてマンネリを訴えている「ポスト・ポスト構造主義」。
この名称もやめた方がいいと思いますよ。
もはやフランス現代思想にパラノイア的に取り憑かれてますね。
スキゾの末路はパラノだというのが、まさに日本という場所なのでしょう。
こういう思考停止も僕には反知性主義の一種に思えます。
告白しますが、僕は昨年号は読みましたが、この号は読んでいません。
レビューするのに不謹慎だと思われる方もいるでしょうが、
「期待してたが読む気が起こらない」ということを告げたかったものですので、
無礼をお許しください。
(一応、営業妨害にならないように次号の発売まで待ちました)