森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて (ほたるの本) の感想
参照データ
タイトル | 森と氷河と鯨―ワタリガラスの伝説を求めて (ほたるの本) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 星野 道夫 |
販売元 | 世界文化社 |
JANコード | 9784418065226 |
カテゴリ | » 本 » ジャンル別 » 歴史・地理 |
購入者の感想
南東アラスカを旅する中で、いつからか著者の心をとらえるようになったワタリガラスの伝説。
はなれた土地で生きる別の部族の人びとが、なぜよく似たワタリガラスの神話を語り伝えているのか。
さらに言えばわれわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。
その大きな問いをひとつの軸に、印象的な写真ととぎすまされた文章でアラスカを切り取ってゆく、息をのむような美しい本。
「森と氷河と鯨」は1995年から「家庭画報」に連載され、予定回数をあと3回のこしたところで、突然の事件によって終了を余儀なくされた。
1996年8月8日、取材のために出かけたカムチャッカ半島で、就寝中のテントをヒグマに襲われ、星野道夫さんはその生涯を閉じる。
だからこの本は、アラスカの自然に魅了され、そこに住む人々を愛しつづけた著者の、最後の旅の記録でもある。
星野道夫さんの本をひらくと、いつも「もうひとつの世界」の気配をはっきりと感じる。
天国とか地獄とか、死後の世界ということとは少しちがう。
今、自分が呼吸して、足を着けて歩いているこの地面のつづきに、海をへだてて、鮭がのぼってくる川や、それを食べにやってくる大きなクマや、地鳴りのように移動するカリブーの巨大な群れがあるのだということ。
「時間」というものは何種類もあって、日常の自分はそのほんの一種類を生きているにすぎないのだと思うと、気持ちが空へ向かってひらけてゆくのを感じる。
どこへでも行けるし、何にでもなれる。心からのぞめば動物にだって、森の木にだって。だから自分はひとりではない。世界に抱かれている。そんなことを思う。
はなれた土地で生きる別の部族の人びとが、なぜよく似たワタリガラスの神話を語り伝えているのか。
さらに言えばわれわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。
その大きな問いをひとつの軸に、印象的な写真ととぎすまされた文章でアラスカを切り取ってゆく、息をのむような美しい本。
「森と氷河と鯨」は1995年から「家庭画報」に連載され、予定回数をあと3回のこしたところで、突然の事件によって終了を余儀なくされた。
1996年8月8日、取材のために出かけたカムチャッカ半島で、就寝中のテントをヒグマに襲われ、星野道夫さんはその生涯を閉じる。
だからこの本は、アラスカの自然に魅了され、そこに住む人々を愛しつづけた著者の、最後の旅の記録でもある。
星野道夫さんの本をひらくと、いつも「もうひとつの世界」の気配をはっきりと感じる。
天国とか地獄とか、死後の世界ということとは少しちがう。
今、自分が呼吸して、足を着けて歩いているこの地面のつづきに、海をへだてて、鮭がのぼってくる川や、それを食べにやってくる大きなクマや、地鳴りのように移動するカリブーの巨大な群れがあるのだということ。
「時間」というものは何種類もあって、日常の自分はそのほんの一種類を生きているにすぎないのだと思うと、気持ちが空へ向かってひらけてゆくのを感じる。
どこへでも行けるし、何にでもなれる。心からのぞめば動物にだって、森の木にだって。だから自分はひとりではない。世界に抱かれている。そんなことを思う。
星野道夫の事実上の絶筆です。彼の生前の最後の旅が、素晴らしい写真と文で綴られています。映画「地球交響曲第3番」ともリンクする本書は、クリンギット族のボブ・サムと出会うところから始まります。口伝、ワタリガラスの神話、自然の中で感じる魂と土地の意味…。見えない物と見える物の価値観の違い。海を越えたアラスカで聞く、ワタリガラスの伝説。未修正のまま掲載された死の直前の日記は、写真の清冽さと相まって不思議に強烈な印象を残します。半分写真集とも言えるエッセイですが、まちがいなく、星野道夫の著作中最高の作品だと思います。