自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 の感想
参照データ
タイトル | 自閉症裁判―レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 佐藤 幹夫 |
販売元 | 洋泉社 |
JANコード | 9784896918984 |
カテゴリ | 社会・政治 » 法律 » 司法・裁判 » 刑法・訴訟法 |
購入者の感想
異常者による通り魔事件という印象しかなかったが,冒頭から驚かされた。男は高等養護学校を出た障害者であったが,ほとんどの新聞はこれを黙殺して中卒とした。障害者の人権を謳うマスメディアとしては,凶悪犯が養護学校卒では犯罪報道しにくかったのである。本書はマスメディアがタブー視した障害を真正面から捉え,自閉症裁判のリーディングケースとなった裁判過程を丹念に追う。前半,男の障害を巡って精神遅滞か自閉症かを争う二人の医師の攻防は,それぞれの知識と経験を総動員して双方に説得力があり実にスリリングだ。鑑定医と治療者という立場の違いもあろうが,ふたりとも立場を越えて真摯に真実に迫ろうとしている。翻って裁判長とのやり取りからは,裁判所はつまるところ責任能力にしか関心はなく,落としどころを捕まえてほっとしている様がありありと浮かぶ。自閉症という診断名に全てを託して「減刑を,情状酌量を」と訴えるのが著者の狙いなら,ひとりの支持も得られないだろう。本書が投げかけているのは,「人としての罪と罰を求めればこそ,障害への理解が不可欠となるのであり,それなくして責任も贖罪も十全足るものとはならないのではないか。ほんとうの意味での再犯の防止とはならないのではないか」という問いである。自閉症に関して凡百の医師以上の研鑚を積み,3年に渡って努力の限りを尽くした弁護が判決に影響を与えられず,弁護士をして「自閉症にこだわりすぎた。もっと事実関係で争うべきだった」と述懐させるくだりはあまりにも哀しい。事実の大枠は争いようのないものであるから,弁護方針は正しく意義のあるものであった。判決にも新聞にも黙殺された裁判過程を丹念に追い,双方の当事者への困難な取材を重ねて,障害の理解による真の贖罪と再犯防止を世に問うた本著作の意義は大きい。被害者O.M.さんへの,男に無心され続けて他界した妹への鎮魂の書でもある。