疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1) の感想
参照データ
タイトル | 疫病と世界史 上 (中公文庫 マ 10-1) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | ウィリアム・H. マクニール |
販売元 | 中央公論新社 |
JANコード | 9784122049543 |
カテゴリ | ジャンル別 » 歴史・地理 » 世界史 » 一般 |
購入者の感想
疫病が世界史にどのような影響を及ぼしてきたか、という歴史の本であるが、理科の本みたいなところもある。著者は、歴史学の大家であるウィリアム・H・マクニールである。ただし、マクニールは最初に疫病の世界史への影響は「ほとんど記録もないので今となってはよくわからない」と宣言している。そして、よくわからないけれども無視しがたいほどの影響があったことは確実であり、もっと疫病の世界史に対する影響については研究されるべきである、という立場から少ない手がかりを頼りに大胆な推理を展開していく。
湛水灌漑で雑草を溺れさせることにより農業は省力化したという話、寄生生物は宿主である人間を殺しすぎてはいけないので適度なところで安定共存し(ミクロ寄生)、征服者も被征服民から収奪しすぎてはならないので適度なところで安定共存する(マクロ寄生)という点で似ているという話、中国では華北人が南方の病原菌への耐性を獲得するために時間がかかったので肥沃な華中華南の本格的な開発をなかなか開始出来なかったという話、悪疫が深刻な打撃をあたえると国庫収入が激減し官僚機構のマクロ寄生も不安定になるという話、死に意味を与えるキリスト教にとって悪疫流行は勢力拡大のチャンスだったという話、地中海沿岸にペストの流行が頻発したためヨーロッパの中心が北方に移っていったという話、青年層(生産年齢)を直撃する悪疫はコミュニティを破壊するがやがて小児病として安定化していく(小児は補充されやすいので社会的ダメージが小さい)という話、日本のような島国では疫病が海を超えてくると劇的な人口減が起こりやすいが13世紀ごろに人口増減の一進一退から脱出し人口が激増しはじめたという話・・・などなど「疫病」という切り口から世界史を眺めるという新感覚を楽しめる。
ただし、歴史そのものを楽しむ王道的な本ではなく、疫病というあまり研究されていないファクターを歴史学に投入した上でマクニールが推理を働かせるというマニアな本なので、こういうテーマに興味がなければあまりおもしろくないかもしれない。
湛水灌漑で雑草を溺れさせることにより農業は省力化したという話、寄生生物は宿主である人間を殺しすぎてはいけないので適度なところで安定共存し(ミクロ寄生)、征服者も被征服民から収奪しすぎてはならないので適度なところで安定共存する(マクロ寄生)という点で似ているという話、中国では華北人が南方の病原菌への耐性を獲得するために時間がかかったので肥沃な華中華南の本格的な開発をなかなか開始出来なかったという話、悪疫が深刻な打撃をあたえると国庫収入が激減し官僚機構のマクロ寄生も不安定になるという話、死に意味を与えるキリスト教にとって悪疫流行は勢力拡大のチャンスだったという話、地中海沿岸にペストの流行が頻発したためヨーロッパの中心が北方に移っていったという話、青年層(生産年齢)を直撃する悪疫はコミュニティを破壊するがやがて小児病として安定化していく(小児は補充されやすいので社会的ダメージが小さい)という話、日本のような島国では疫病が海を超えてくると劇的な人口減が起こりやすいが13世紀ごろに人口増減の一進一退から脱出し人口が激増しはじめたという話・・・などなど「疫病」という切り口から世界史を眺めるという新感覚を楽しめる。
ただし、歴史そのものを楽しむ王道的な本ではなく、疫病というあまり研究されていないファクターを歴史学に投入した上でマクニールが推理を働かせるというマニアな本なので、こういうテーマに興味がなければあまりおもしろくないかもしれない。
書かれたのはなんと1970年代。文庫化は初めてのようです。
ウイルスや病原菌・寄生虫などを原因とした疫病を「ミクロ寄生」とするならば、
人間の支配→被支配の社会構造を「マクロ寄生」と位置づけ、両者は構造的には
同じものであるとして世界史を論じた着眼点は、30年前のものとは思えません。
成程、面白い捉え方であると思う箇所もいくつかあります。
「アフリカ大陸における近代農業技術導入の難しさは、人類の発生箇所であるが故、
つまり人類と接している時間が長かったために、アフリカの生態系自体に人類に対する
抵抗力がある(免疫のように)からではないか」など。
とはいえ著者自身も本文で認めているように、やや強引な推測による論理展開も多いです。
例えば、古代北インドのインダス文明の南方進出の折には、南方の文化・民族は完全には
同化されず、カーストという緩やかなヒンズー教体制に組み込まれていったわけだが、
その理由として「高温多湿の疫病多発地帯であったがために、消化吸収されるような
同化作用に対して一種障壁のようなものができ、また感染を予防する意味で不可触賎民という
概念が、カースト制度に繋がっていったのではないか」といった論など。
もしそうならば、黄河流域の殷周帝国に対する長江流域民に関しても同じ方程式が
当てはまるはずだが、そうはなっていないし、違いを著者も説明できていません。
しかし内容的には大変興味深い。疫病(要するにウイルスなどの寄生体)という観点から
世界を一つのシステムとして捉え、歴史を論じた良書です。
ウイルスや病原菌・寄生虫などを原因とした疫病を「ミクロ寄生」とするならば、
人間の支配→被支配の社会構造を「マクロ寄生」と位置づけ、両者は構造的には
同じものであるとして世界史を論じた着眼点は、30年前のものとは思えません。
成程、面白い捉え方であると思う箇所もいくつかあります。
「アフリカ大陸における近代農業技術導入の難しさは、人類の発生箇所であるが故、
つまり人類と接している時間が長かったために、アフリカの生態系自体に人類に対する
抵抗力がある(免疫のように)からではないか」など。
とはいえ著者自身も本文で認めているように、やや強引な推測による論理展開も多いです。
例えば、古代北インドのインダス文明の南方進出の折には、南方の文化・民族は完全には
同化されず、カーストという緩やかなヒンズー教体制に組み込まれていったわけだが、
その理由として「高温多湿の疫病多発地帯であったがために、消化吸収されるような
同化作用に対して一種障壁のようなものができ、また感染を予防する意味で不可触賎民という
概念が、カースト制度に繋がっていったのではないか」といった論など。
もしそうならば、黄河流域の殷周帝国に対する長江流域民に関しても同じ方程式が
当てはまるはずだが、そうはなっていないし、違いを著者も説明できていません。
しかし内容的には大変興味深い。疫病(要するにウイルスなどの寄生体)という観点から
世界を一つのシステムとして捉え、歴史を論じた良書です。