未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書) の感想
参照データ
タイトル | 未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書) |
発売日 | 販売日未定 |
製作者 | 片山 杜秀 |
販売元 | 新潮社 |
JANコード | 9784106037054 |
カテゴリ | 歴史・地理 » 日本史 » 一般 » 日本史一般 |
購入者の感想
主に大日本帝国陸軍の複数の高官の思想が掘り下げられています。
・総力戦の時代、持たざる国日本は持てる国と戦争してもかなわない
・軍の政治関与は憲法上限界があり、戦争の相手を選ぶことはできない
というジレンマが彼らをむしばみ、各々が理性的に判断した結果、その先が戦争へとつながっていた。
そういうことがわかりやすい文体で明瞭に語られます。
愚かだった。狂っていた。無謀だった。
そんな言葉で済ませたくない方におすすめです。
・総力戦の時代、持たざる国日本は持てる国と戦争してもかなわない
・軍の政治関与は憲法上限界があり、戦争の相手を選ぶことはできない
というジレンマが彼らをむしばみ、各々が理性的に判断した結果、その先が戦争へとつながっていた。
そういうことがわかりやすい文体で明瞭に語られます。
愚かだった。狂っていた。無謀だった。
そんな言葉で済ませたくない方におすすめです。
日本はなぜ「玉砕」連発の太平洋戦争を戦ったのか。著者は日露戦争の栄光と太平洋戦争の悲惨の間にあり、日本近代史においては影の薄い第一次世界大戦に着目する。著者はこの大戦を出発点に発生したいくつかの戦争哲学から、「玉砕」の思想へと接近する。
第一次世界大戦は軍隊の武勇や小手先の戦略戦術だけではなんともならない、国家の国力のすべてをつぎ込む総力戦であった。日本人は大戦を傍観していたように見えて、軍人たちはちゃんとその実情をとらえていた。大戦をつぶさに考察した軍人たちは総力戦の現実に身震いする。「持たざる国」日本にこんな戦争は戦えない。
ここで分岐が始まる。一つは「持たざる国」であり続ける戦争哲学。著者は小畑敏四郎を召喚する。高級軍人の戦闘マニュアル「統帥綱領」を短期決戦と精神主義に染め上げたイメージが強調される「作戦の鬼」。しかし実際は強調されたこれら「顕教」の裏に「密教」があったと著者は指摘する。それは、「『持たざる国』日本は総力戦が戦えない、だからできる戦争だけをしよう」というものだった。「持てる国」の国力がフル稼働する前にケリをつける短期決戦を行ない、不足する物量は精神主義で補填する。そして戦う相手は日本最大の脅威ソ連(の極東戦力)だけと限定されていた。それは「持たざる国」を自覚した戦略だった。
もう一つの分岐は「持てる国」に日本を進化させる戦争哲学。ここで著者は石原莞爾を召喚する。石原は独自の世界観のもと、「持てる国」のチャンピオン、アメリカと最終戦争を戦えるよう日本を「持てる国」に発展させることを望む。その帰結が満州の支配であり、アジア地域を糾合する東亜連盟構想だった。
しかしいずれの構想実現にも一つの大きな壁が存在した。明治憲法システムである。どちらの戦略を目指すにしても、それは強力なリーダーシップや、政治・軍事一体の国家戦略を必要とする。しかしながら、政治と統帥(軍事)を分離し、その他の分野でも極度の分権性を持つ明治憲法の政治システムは、国家が一体となることの最大の障害となる。この体制で唯一強力なリーダーシップを発動できるのは天皇だけだったが、明治憲法の起草者たちは天皇にそのようにふるまうことを期待していなかった。
第一次世界大戦は軍隊の武勇や小手先の戦略戦術だけではなんともならない、国家の国力のすべてをつぎ込む総力戦であった。日本人は大戦を傍観していたように見えて、軍人たちはちゃんとその実情をとらえていた。大戦をつぶさに考察した軍人たちは総力戦の現実に身震いする。「持たざる国」日本にこんな戦争は戦えない。
ここで分岐が始まる。一つは「持たざる国」であり続ける戦争哲学。著者は小畑敏四郎を召喚する。高級軍人の戦闘マニュアル「統帥綱領」を短期決戦と精神主義に染め上げたイメージが強調される「作戦の鬼」。しかし実際は強調されたこれら「顕教」の裏に「密教」があったと著者は指摘する。それは、「『持たざる国』日本は総力戦が戦えない、だからできる戦争だけをしよう」というものだった。「持てる国」の国力がフル稼働する前にケリをつける短期決戦を行ない、不足する物量は精神主義で補填する。そして戦う相手は日本最大の脅威ソ連(の極東戦力)だけと限定されていた。それは「持たざる国」を自覚した戦略だった。
もう一つの分岐は「持てる国」に日本を進化させる戦争哲学。ここで著者は石原莞爾を召喚する。石原は独自の世界観のもと、「持てる国」のチャンピオン、アメリカと最終戦争を戦えるよう日本を「持てる国」に発展させることを望む。その帰結が満州の支配であり、アジア地域を糾合する東亜連盟構想だった。
しかしいずれの構想実現にも一つの大きな壁が存在した。明治憲法システムである。どちらの戦略を目指すにしても、それは強力なリーダーシップや、政治・軍事一体の国家戦略を必要とする。しかしながら、政治と統帥(軍事)を分離し、その他の分野でも極度の分権性を持つ明治憲法の政治システムは、国家が一体となることの最大の障害となる。この体制で唯一強力なリーダーシップを発動できるのは天皇だけだったが、明治憲法の起草者たちは天皇にそのようにふるまうことを期待していなかった。